sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

離婚闘争記

私の人生回顧録離婚調停編

2009年ゴールデンウィーク。私は子供たちを連れて両親の家に行っていました。子供たちは、甥っ子や姪っ子たちと遊べるということで大喜び。家につくと「お父さん、おばちゃんちに電話して〜。○○君と遊ぶ〜」というので、姉の家に電話して「今遊びに来てるか…

私の人生回顧録離婚調停編

2009年の新学期がスタートして一か月が過ぎるころ、ゴールデンウィーク直前に恒例の地区の運動会がありました。これには私たちも毎年参加しており、学校まで歩いて10分ほどの距離だったので、私はジャージ姿で、子供たちは学校の体操着姿で学校に向かいまし…

私の人生回顧録離婚調停編

子供たちがそれぞれ6年生と2年生に進級して、4月も半ばになると息子も慣れたのか、比較的落ち着いて登校班の班長としての責務を果たしていました。メインの班長さんが先頭に立って、息子はその後ろ、さらに息子のすぐ後ろを、何かあったら手助けできるように…

私の人生回顧録離婚調停編

2009年3月。子供たちは学年末を迎えて、一年間無事に学校で5年生と1年生のカリキュラムをすべてこなし、息子は6年生へ、次男は2年生に進級することになりました。息子は最上級生として、登校班の班長さんを任されることになりました(メインは5年生の女の子で…

私の人生回顧録離婚調停編

2月17日は、私の誕生日。この誕生日を祝うということで、私と息子、次男の3人で両親の家に行ってきました。皆がお祝いをするということで、姉の家族5人も集まってきていて、両親の家の中は、さながら大家族のような感じになってました。こうやってみんなが集…

私の人生回顧録離婚調停編

元嫁が狭心症になって、元嫁が外に外出することが少なくなった2009年冬。寒い中外出するのは心臓に負担がかかってよくないとか言われたそうですが、元嫁の場合、そのことをいいことに、今まで以上に運動しなくなり、ますます”肉の塊”と化していました。運動…

私の人生回顧録離婚調停編

2009年に入って、一月の半ばでしたでしょうか。元嫁が「今日、胸が苦しくなって、病院に行ってみた。狭心症だといわれた」といういことを言っていました。程度としてはごく軽いものだったようで、日常生活には支障はないということでしたが、その狭心症にな…

私の人生回顧録離婚調停編

2009年の年が明けて仕事が始まりましたが、夜勤がない分、肉体的には楽になりました。ただ、精神的な苦痛は以前よりも増しました。残業がない分早く家に帰るので、元嫁からの罵声や罵倒を毎日のように浴びせかけられてましたし、息子への虐待行為も見受けら…

私の人生回顧録離婚調停編

リーマンショックの影響で、大幅なリストラが断行された2009年初め。職場の人員が変わり、生産体制が変わるなど、大きな影響を受けました。 私としては、元嫁と離れられる仕事を心の拠り所にしていましたが、夜勤がなくなって、残業も全くなくなると、どうし…

私の人生回顧録統一教会編

私の職場では、残業がなくなり、2009年正月連休明けからは、夜勤もなくなるということが発表されてからは、職場の中にも重苦しい雰囲気が漂ってました。職場を去っていく人、他の職場に転籍する人、職場に残る人。いろいろある中で、12月の初めには、職場の…

私の人生回顧録統一教会編

リーマンショックが引き金となって、全く残業がなくなった我が社。大勢の人が職場を去ったり、配置転換されて大きく職場の人員が入れ替わって、「これで人員整理もひと段落着いたのかな」と思っていましたが、残業がなくなったというのは、リーマンショック…

私の人生回顧録統一教会編

リーマンショックが起こった2008年。この冬のボーナスは、大幅に車の販売が落ち込んだ影響で、利益が大幅に減ったため、臨時に労使での協議の場が設けられ、会社からはボーナスカットの提案が出されました。会社の発表によると、車の販売の落ち込みにより、…

私の人生回顧録統一教会編

リーマンショックが世界を襲って、急激に景気が落ち込んだ2008年秋。残業がなくなり、家に早く帰ることが増えて、子供たちは私と遊べる時間が増えて喜んでましたが、元嫁は私が早く帰宅するのを「この仕事もできない能無し」と思っていたようで、家族を養え…

私の人生回顧録統一教会編

2008年9月15日、あるニュースが世界に激震を与えました。サブプライムローン問題に端を発した、回収不能な債権が焦げ付き、不良債権と化して、アメリカのリーマンブラザーズが経営破たんしたというニュースでした。私は、サブプライムローン問題が明らかにな…

私の人生回顧録統一教会編

新学期が始まってしばらくすると、小学校の運動会が行われました。私たちの住んでいたところでは、運動会は2学期の9月半ばに行われ、皆汗だくになりながら競技に参加してました。 この日は、子供たちも早く目が覚めて、お弁当の準備や次男は息子の着替えを手…

私の人生回顧録統一教会編

夏休みが終わって、2学期が始まり、子供たちはまたいつものように、元気よく学校に通い出しました。子供たちは久しぶりに友達に会えると言って、嬉しそうにしていました。始業式の前の日、学校へ登校させるための準備を済ませて、持って行くものを最終確認し…

私の人生回顧録統一教会編

親子でテレビ観戦した北京オリンピックが終わって、お盆休みがやってきました。毎回長期連休になると、元嫁と一緒にいる時間が増えるので苦痛でしかなかった私。連休に入ると、元嫁の先祖を祭ってある納骨堂にお参りするため、美東町に行った以外は元嫁と行…

私の人生回顧録統一教会編

2008年夏の最大のイベントと言えば、北京オリンピックでしょうか。次男も小学生になり、スポーツを観る楽しみも少しわかりかけてきたころで、ソフトボールの決勝戦や、競泳の北島康介選手の平泳ぎの決勝・レスリング女子・柔道などを観戦してました。子供た…

私の人生回顧録統一教会編

2008年夏。子供たちも一学期が終わって、夏休みに入りました。再び家に子供たちがいることが多くなるわけで、子供たちも自我が出始めて、兄弟げんかすることも多くなってきました。「兄ちゃんが僕のおもちゃを取った」とか「次男が僕の作ったブロックを壊し…

私の人生回顧録統一教会編

元嫁が次男を叱り飛ばした後の記憶は、はっきりと残っていないので、かなり飛び飛びになってしまっています。たぶん元嫁にいろいろとグチグチねちねちと文句を言われ続けていたのではないかと思いますが、たぶん私の脳が、記憶として残すことを遮断していた…

私の人生回顧録統一教会編

次男が私に、元嫁が「お父さんが死ねばいいって言ってる」と告げ口して、それに激高した元嫁。次男を呼びつけて「なんであんたはいらんことばっかりしゃべるんか。おかげで私が怒られたじゃん。そう何でもかんでも喋るのはいい加減にしなさいよ」と、次男に…

私の人生回顧録統一教会編

昨日書いた喧嘩の後、私の心はますます元嫁と離れていって、もう、性格の不一致というような問題ではなくて、顔も見たくないという状態でした。そして、私が仕事から帰って夕食を済ませて、子供たちを入浴させると、そのまま寝室に直行し、パソコンでニュー…

私の人生回顧録統一教会編

学校の遠足も終わって、しばらくは大きな行事のない期間に入りました。次男も登校班に加わって、私もよく一緒に学校までついて行ってましたが、6年生の女の子を先頭に、一年生である次男が一番前、そして、5年生になった息子は、登校班の列の後ろの方になり…

私の人生回顧録統一教会編

次男が小学校に上がってから、一か月が経過して、次男も小学校での生活に慣れてきた2008年5月。小学校に入学すると給食が毎日あるようになり、お弁当を持たせて通うということは、遠足などの学校行事がある時くらいで、普段は作らなくて済むようになりました…

私の人生回顧録統一教会編

地区の運動会が終わって、ほどなく2008年のゴールデンウィークがやってきました。私の会社は1週間ほど休みになるので、なるべく家にいないようにしてました。 このころになると元嫁は「もう離婚を突き付けられることはない」と勘違いしたのか、私に対してま…

私の人生回顧録統一教会編

次男が小学校に上がって、初めての大きな学校行事(地区の行事)というと、地区の運動会です。小さな子供からおじいちゃん・おばあちゃんまでが小学校のグラウンドに集結し、地区ごとに分かれて熱戦を繰り広げるのは、春の恒例行事として、すっかり定着してい…

私の人生回顧録統一教会編

2008年の4月。息子は5年生、次男は一年生になり、新たな学校生活がスタートしました。息子の支援学級を受け持つことになった先生は、息子が3年生の時からお世話になっているK先生とM先生。子供たちが通った小学校には、支援学級が二クラスあって、息子が5年…

私の人生回顧録統一教会編

叔母の葬儀・告別式と次男の入学式が重なって、怒涛のように忙しかった2008年4月8・9日。無事に叔母を天国に旅立つのを見送ることが出来て、次男の入学式も無事に終わりました。 入学式が終わった翌日からは、次男も登校班に加わって、兄である息子と一緒に…

私の人生回顧録統一教会編

熊毛の実家化から帰って、次男の入学式に備えて、スーツなどの準備をしながら、元嫁が「お母さんのところに電話をした方がいいんじゃないか?一体何があったん?」などと訝しがるので、私は母の携帯に電話を掛けました。これはすでに前日話し合った通りのこ…

私の人生回顧録統一教会編

2008年4月8日。この日は、私は夜勤の仕事に入っていて、仕事が終わって帰ろうとしていると、母から一本の電話が私の携帯に入りました。「たぶん、叔母の訃報なんだろうな」と思いながら電話に出ると、やはり叔母がなくなったという連絡でした。叔母は胆のう…