sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 リーマンショックが世界を襲って、急激に景気が落ち込んだ2008年秋。残業がなくなり、家に早く帰ることが増えて、子供たちは私と遊べる時間が増えて喜んでましたが、元嫁は私が早く帰宅するのを「この仕事もできない能無し」と思っていたようで、家族を養えるだけの稼ぎがないのならさっさと出ていけ。そういうことを毎日のように言っていました。普通の家族なら、こういう危機の時は、家族が力を合わせて乗り切っていこうと思うのが普通なのではないかと思いますが、元嫁には、残念ながらそういった考えはなかったみたいです。そしてこのとき私に対して直接「テメーは仕事も出来ん能無しなんじゃから、さっさと出ていけばいい」と言われ、私の心はぽっきりと折れてしまいました。もうやり直すのは無理だと…。死に物狂いで頑張るから離婚はしないでほしい。そう言って離婚を回避してもらったにも拘らず、こういったことを平気で言ってのける元嫁に対しては、怒りを通り過ぎて、こういう考えしかできない哀れな奴なんだ…。という、哀れみにも似た思いしかわかなかったです。そして「○○さんちはいいよね。たくさんお金がもらえて。大家さんのところも、私たちが払う家賃でぼろ儲けをして。一番みじめな生活をしているのは私たちだけじゃん」などと、他の家庭を引き合いに出しては、生活ぶりの違いを言っていましたが、私から言わせれば、「お前がそういう風にしたんだろ。」という思いが渦巻いていました。よその家は、共働き世帯が多かったので、収入もその分多いわけで、仕事をクビになって以来、職探しもしようとしなかった元嫁にそのようなことを言われる筋合いはなかったんですが、よく元嫁が引き合いに出していたのが、車でした。大家さんはトヨタのクラウン・登校班の班長さんの家はマツダMPVアテンザ。そのほかにも、私の車よりも排気量の大きい車に乗っている家庭が多かったです。私には「あんたね、他の家はあんたよりももっと大きい車に車に乗っているのに、自動車会社に勤めていながら悔しいとは思わんのか?」と言ってましたが、私は別に大きい車に乗っているからそれでどうのこうの思ったこともないですし、アクセラで十分だと思っていたので、車で張り合う気持なんか毛頭なかったので、悔しいとも何とも思わなかったのですが、元嫁から見れば、よその家に完全に負けていると思っていたようですね。まぁ、そのようにしたのは元嫁が統一教会に狂ったのが原因なんですが。
 こうして、リーマンショックによって私の家庭はさらに大きくゆがみ始めたのでした。
 私はこれまで仕事に対して、手を抜いたことなんて一度もないですし、自分に与えられた仕事は、自分なりに精一杯頑張ってきたつもりです。仕事が始まる前は、誰よりも早く作業場に入って仕事の準備をして、仕事が終わった後も、片付けなどで誰よりも一番遅くまで残って、残業も当時の36協定で定められていた上限ぎりぎりまでしてました。それらの私の頑張りをすべて否定されたようで、私の心は、何時離婚しようか…それだけを考えるようになっていました。