sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 地区の運動会が終わって、ほどなく2008年のゴールデンウィークがやってきました。私の会社は1週間ほど休みになるので、なるべく家にいないようにしてました。
 このころになると元嫁は「もう離婚を突き付けられることはない」と勘違いしたのか、私に対してまた暴言を吐き捨てるようになってきました。「お前は仕事に行って、金だけ稼いでくればいいんだよ」「自分で食った食器ぐらい洗えーや」「仕事以外、何もできん能無し野郎が」「テメーなんかさっさと出ていきやがれ」etc。次男が小学校に入学し、息子も小学校での毎日を楽しんでいるのを見て、この家庭を壊すことはしないだろうと思っていたみたいです。
 しかし、このころになると私の身体は心身ともに疲れ果てていて、夜になっても眠れない→慢性的な睡眠不足に陥る→疲労が蓄積する→ストレスが溜まってさらに眠りが浅くなる。そういう悪循環に陥っており、連休中はほとんど両親の家に行っているか、子供を連れてどこかに出かけているかのどちらかでした。
 こういった元嫁の暴言に対して、私も当然のように怒りを爆発させていました。特に私がイラッと来たのが「あんたはいいよね。仕事に行っている間は子供の面倒を見なくていいんじゃから」などというので、私は「じゃあ、お前が俺の仕事を代わりにやれば?俺と同じだけの給料を稼ぐだけ働けばいいじゃねーかよ」というと、元嫁は「じゃああんた昼間、家におるわけ?男が昼間っから家におるなんて信じられん。」「だったら仕事もしてなくて、家に一日おるお前が子供の面倒を見るしかねぇんじゃねーかよ」
 この当時、私の仕事は多忙を極めており、36協定で定められた残業の上限ぎりぎりまでの残業をこなしており、給料も上司を覗くと、私が一番多くもらってました。家に帰るのは昼勤の時で夜9時前、夜勤では朝の8時前といった具合でした。そんな状態で、夜勤の時は元嫁は私が出勤する直前まで帰ってこないということがまた増え始めたので、子供の夕食を作って、入浴も済ませて、私の出勤時間になっても、元嫁が帰ってこない時は、子供たちに「お母さんが帰ってくるまで、絶対に玄関のドアを開けちゃいけんよ」と言って聞かせて、出勤してました。
 そして、連休中に元嫁のすきをついて、元嫁のカーナビで、走行軌跡を確認していると、再び統一教会に行っていることが判明。私は「お前、統一教会とは縁を切ったって言ってたよな?それは本当か?」と聞くと、元嫁は「何?私をまだ疑ってんの?もう一切かかわってないわよ」というので、私は「ほう。じゃあ、これは一体どう説明するのか、俺が納得いくように、わかりやすく説明してもらおうじゃねぇか」と言って、元嫁を、自分の車に連れて行って元嫁の車のエンジンをかけて、カーナビを立ち上げて、走行軌跡を見せました。そこには統一教会の入っている建物の前でエンジンが切られたことを示す、赤いビーコンが示されていました。これには元嫁も言葉が出てこなくて、苦し紛れに「だって、子供のことで相談に乗ってもらってたんじゃもん」などというので「ふざけるな。もう俺はお前のことは知らんからな。これから俺は離婚に向けた準備を始める。何時離婚されてもいいように覚悟しとけ」そして、元嫁の携帯を取り上げて、統一教会防府支部に電話を入れて「二度と俺たちに関わるんじゃねーぞ。」そう言って電話を切りました。