sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 学校の遠足も終わって、しばらくは大きな行事のない期間に入りました。次男も登校班に加わって、私もよく一緒に学校までついて行ってましたが、6年生の女の子を先頭に、一年生である次男が一番前、そして、5年生になった息子は、登校班の列の後ろの方になりました。私は息子と一緒に歩きながら、最後尾について、登校班の安全を後方から確認している6年生の男の子と話をしたり、息子がおふざけをするとダメ出しをしたりしてました。
 子の登校班に入ってからは、以前のように、元嫁が子供たちに対して攻撃的な態度に出るといった行為は見られませんでした。ただ、私に対しては「学校に連れて行かん、この役立たず」「仕事してる奴だけが偉いと思うなよ」などと言ってました。私は仕事の関係で、昼勤の時は朝6:40分過ぎに家を出て、夜勤の時は家に帰るのが8時前ということが多かったので、どうしても子供を学校に連れて行くことが出来なかったんですが、そんなことは百も承知だったはずではないかと思います。 
 まぁ、ここまでは私も我慢をしてました。しかし私がブチ切れる時がやってきました。6月に入って間もないころ、私は2時間の残業をこなして、さらに片付けなどで会社を夜8時ごろ出て、家に帰ったのが8時20分ごろだったと思います。おなかをすかせて家に帰ってテーブルに行くと、晩御飯らしきものが何もないんです。その時元嫁はテレビを見てました。私が聞こえよがしに「あぁ~。腹減った~」というと、「先に風呂に子供と入っちょって。その間に晩御飯を作るから」というので、私は子供を連れて風呂に入ってきました。結構蒸し暑くて汗もかいたので、「まぁ、風呂から上がってからでもいいか」と思って入ってました。およそ20分後、私が風呂から上がると、相変わらず元嫁はテレビを見て「げらげら」笑ってます。そこで私は「おい、晩飯は?」とイラついた感じで聞くと「はぁ?何?私が晩御飯作らんといけんわけ?一人暮らしの人なんか弁当を買ってきたり、自分で作って食べよるんじゃないん?」などというので、この言葉に、それまで抑えていた私の理性はブチ切れました。「てめぇ。汗水流して働いて帰ってきた自分の旦那に食わせる飯はねぇっていうのか?はぁ?ふざけてんじゃねぇぞ」というと元嫁も反撃してきて「そんなに晩御飯が食べたければ買ってくればいいじゃん。何も私が作らんといけんていう決まりはないんじゃけぇね」というので「じゃあテメーは一体何のためにいるんだよ。仕事はしない・家のこともしない・食事もろくなものを作らない・子供のこともほったらかし。そんなんじゃったらおらんでええわ。さっさと荷物をまとめて出ていけ」と、私が物凄い剣幕で怒ると、流石にまずいと思ったのか、台所にやってきてまな板と包丁を取り出して、食事を作ろうとしだしたので、私は「もう別に作ってもらわんでええわ」そう言って、元嫁から包丁を取り上げて、冷蔵庫にあるもので、自分の食べる晩御飯を作り出しました。その私にさらに元嫁が言った一言が、私の怒りを買いました。たまにはいいよね。あんたが晩御飯を作ったって」というので、私は「たまには?オイ俺は毎日包丁を握って、俺が食べる晩飯を作っとんやぞ。何が「たまにはいいよね」かっちゃ。ふざけんな」そう言って思いっきり怒鳴り散らしてやりました。子供たちは私の怒りの表情と、怒声に怯えておろおろするばかり。子供たちには悪いなと思いつつも、このときは、私も仕事の疲れやストレス、そして元嫁から毎日のように浴びせられる罵声に疲れ果てて、怒りが爆発しました。そしてこの怒りの爆発に驚いた元嫁が翌日になって「昨日はごめん。私が悪かった」と言ってきましたが、当然私は元嫁を許すつもりなんてありません。一切聞く耳を持たず無視してました。
 このころからの記憶は、ところどころとぎれとぎれになっていて、あまりよく覚えていません。たぶん強いストレスから、元嫁との間にあったことを私の脳が、無意識なうちに消去したのかもしれません。この喧嘩の翌日、私の胃腸の調子が悪化して、腹下しになったのでした。