sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 2009年ゴールデンウィーク。私は子供たちを連れて両親の家に行っていました。子供たちは、甥っ子や姪っ子たちと遊べるということで大喜び。家につくと「お父さん、おばちゃんちに電話して〜。○○君と遊ぶ〜」というので、姉の家に電話して「今遊びに来てるから」と伝えると、しばらくして姉が子供たちを連れて遊びにやってきました。子供たちは「外に遊びに行く」と言って、外に出て遊んでいました。その隙を狙って、私はこの前の地区の運動会のあと、元嫁が発していた罵声を録音したICレコーダーを取り出して、両親に聞かせました。両親は一様に黙って聞いていましたが「所詮、あいつが死に物狂いで頑張るていうのは、この程度なんじゃね。まぁ、想像はしてたけど」姉も「あいつと一緒におったって、何のいいこともないじゃん。KちゃんやY君のためにもよくないから、さっさと別れた方がいいんじゃない」などと言っていました。私としては、今すぐにでも離婚してもいいと思っていましたが、やはり子供のことが気がかりでためらう自分がいました。
 相手は口が達者なうえに攻撃的な性格なため、どの様に離婚の話を進めていくかが主な話し合いになりました。なるべく子供たちを傷つけないようにするにはどうしたらいいのか、みんなで考えました。そして帰りの車の中で次男に「もしね、お父さんが病気とか事故とかで死んじゃって、おらんようになったらどんな?」と聞いてみました。次男は「絶対に嫌だ」そう言っていました。次男から見れば、たとえ喧嘩が絶えなくても、お父さん・お母さんと一緒に暮らす方がいいと思っていたのかもしれません。
 ゴールデンウィークが明けて、普段の生活が戻ってくると、朝は子供たちの学校へ行く準備や、私の出勤など、慌ただしい日々がが再び始まりました。そんなある日、次男の校外学習があって、弁当が必要になった日があったんですが、私は仕事に行くための準備をしていて、元嫁が次男の弁当を作っていたんですが、次男の弁当を作りながら元嫁が言い放った言葉にイラッと来ました。「あんたはいいよね。仕事に行ったら子供の世話を全部私に押し付けておけばいいんじゃから。母親がおらん家だってあるんじゃから、あんたが弁当を作ればいい」などと言っていましたが、朝の出勤前の忙しい時間にそんなことしてる暇なんかないので、私が出勤の準備をしながら「そんなことする時間があるわけねーだろ。今までロクに子供の世話もしてねー奴が偉そうなことをぬかすな」そう言い返したことで朝から言い争いの喧嘩。しまいには私もブチ切れて「じゃかましいんじゃこのくそボケ。文句があるんじゃったらさっさと出ていけ」そう言って、テーブルを思いっきり蹴飛ばしてやると、次男が「もうやめてよ。なんでお父さんとお母さんはそうやって喧嘩するんよ。僕はお父さんとお母さんが喧嘩してるとこなんか見たくない」と泣きながら訴えてました。元嫁は「お父さんはね、文句を言われたらああやって怒るしかできんのんよ。かわいそうじゃねー」というので、私の怒りに油を注ぐ形となり、私は「何がかわいそうじゃねーかっちゃ。ふざけんじゃねーぞ。」そう言って仕事に向かった私です。その日は一日中不機嫌で、仕事が終わって帰宅してからも私の機嫌が治まらない様子を察知した元嫁は「朝はごめん。私が悪かった」と謝ってきましたが、私は許すつもりなんて毛頭ありません。「お前、何時離婚されてもいいように、覚悟しとけ。俺はもうお前とは一緒に暮らすつもりはねーからな。」そう告げると、「だから私が悪かったって謝ってるじゃん。もう機嫌治してよ」と言っていましたが「謝ったからそれで済む問題じゃない。俺はお前を許すことなんて、絶対にありえんから。まぁその時になって泣きを見たって俺は知らん」そう言って、私が離婚を考えているということを元嫁に告知しました。しかし、私が本気で離婚を考えているとは、まだ元嫁は思ってなかったみたいです。元嫁の悪態は治まることはなかったですから。