sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 2009年の新学期がスタートして一か月が過ぎるころ、ゴールデンウィーク直前に恒例の地区の運動会がありました。これには私たちも毎年参加しており、学校まで歩いて10分ほどの距離だったので、私はジャージ姿で、子供たちは学校の体操着姿で学校に向かいました。元嫁は”狭心症を患っている”ため車で向かいました。学校までの距離(およそ1キロちょっと)くらい歩いていけるだろうと思いましたが、まぁ、元嫁が太ろうが狭心症が酷くなろうが、私の知ったこっちゃない。そう思っていたので、何も言わずに家を出て、途中で登校班の子供たちとも一緒になって学校に到着。元嫁は弁当を作って持ってくるということで、後からやってきました。やがて競技が始まり、地区対抗リレーの予選や大玉転がし・玉入れや、パン食い競争などが行われました。中でも一番盛り上がったのが綱引き。各地区とも力自慢の人が数多く出場するので、皆気合の入れようが違うんですね。大人から子供まで、老若男女が参加するので、ものすごい熱気に包まれます。そして、地区に二つある幼稚園からの参加もあり、子供たちは、幼稚園のバスが到着すると、一目散に駆け寄っていって「先生久しぶり〜」と言って、最上級生になった息子と、2年生になって、少し成長した次男を見つけると、幼稚園の先生も「Kちゃん・Y君久しぶりじゃねぇ。元気にしちょった?」などと声をかけてもらい、つかの間の再会を喜んでました。
 そして昼になって、それぞれ弁当を広げて食べたんですが、私は元嫁の作った弁当を見て思わず絶句しました。おにぎりにおかずが焼うどん。それに鶏のから揚げなど、肉類や炭水化物ばっかりで、野菜が全く入っていないというものでした。さすがにこんな弁当、よそ様に恥ずかしくて見せられないと思ったのを今でもはっきりと覚えています。
 そして一日が無事に終わって、夕食時。元嫁が「あぁ~疲れた。今日はどこかで弁当でも買って食べようや」というので、私は「ハァ?疲れた?お前が今日、いったい何をしたっていうんか?何にもしてねぇじゃん。お前がしたことって言えば、手抜きの弁当を作っただけじゃん。さっさと晩飯作れ」そう言い放つと、「私はね、狭心症なんよ。少しは気遣ったらどうなんよ」などというので、「気遣ってほしけりゃ、自分が今までやってきたことを考えろよ。誰がお前なんかに気づかいなんかするかよ」そういうと、「わかったわよ。作ればいいんじゃろ作れば」そう言って、カレーを作ってみんなで食べました。そして食べ終わると、私は元嫁と顔を合わすのも嫌だったので、自室に行ってワンセグでテレビを見たり、子供と遊んだり、子供を風呂に入れたりして、寝床につこうとしました。そしたら元嫁の怒鳴る声が「自分で食った皿ぐらい洗えや。何もかも私がやらんといけんことはねぇんじゃからな。いい加減にせえよ。このくそ役立たずが」などと、私を罵ることを言ってました。
 このころになると私は離婚の意思を固めていたので、その時のために、離婚を少しでも有利に進めるために、元嫁の言動をICレコーダーに録音していました。離婚調停の時に元嫁は「私は何より家族のことを思ってました。子どものこともかわいがってましたし、主人のことも大事にしてました」などということを調停委員さんの前で言っていましたが、その元嫁の証言は、私がICレコーダーに録音した音声によって、ことごとく嘘だということがばれたのでした。