sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 私が小学校を卒業する子供たちに行った特別課外授業が終わって、数日後に小学校の卒業式が行われました。息子が通っていた学校は、小規模校なので、卒業式には、在校生も全員出席し、在校生と保護者皆で卒業生を迎えて卒業式が始まるという手順になっていました。
 もう私と元嫁は一応夫婦ではあっても、離れて暮らす赤の他人なので、全く離れた席に座って、子供たちの卒業式をカメラを写しながら見ていました。卒業生一人一人が名前を呼ばれると壇上に上がり、校長先生から卒業証書を受け取った後、将来の夢や希望を話して、席に戻るという形式で卒業式は進行していきました。
 そしていよいよ息子の番になりました。息子の名前が呼ばれて、壇上に上がって、校長先生から卒業証書を受け取るときは、この小学校に入学してから、この日までのことが走馬灯のように頭の中によみがえってきてました。息子も幼稚園とは全く違う環境で、始めはなかなか慣れなくて戸惑い、パニックを起こしたこともありましたが、次第に慣れてきて学校のみんなからもかわいがられる「かわいがられキャラ」として、休憩時間になると、息子が普段在籍している支援学級に子供たちが遊びに来て、一緒に遊んだり、いろいろとK先生と話をしたり、皆が息子のことを知的障害がある子供としてではなく、ごく普通の同級生という感じで受け入れてくれてました。息子の通ったクラスには、息子という知的障害を抱えた子供がいるということが普通な状態で、誰も息子のことを特別視することなく、息子を普通の同級生として受け入れてくれてました。息子が小学校の6年間という時間を楽しく過ごせたのも、K先生やK先生の前を受け持っていただいたS先生のご尽力のおかげ・通常級で、息子のクラス担任を受け持っていただいた先生方・そして学校の主役である子供たちの理解があったからこそだと思います。本当にいろいろとお世話になった皆さんには感謝してもしきれないくらいの沢山の愛情を息子にかけていただきました。この6年間を思い返すと、息子はいい人に巡り合えたなってそう思いました。家では毎日のように元嫁からの罵声・罵倒を受けていましたが、息子が心を壊すことなく、卒業式を迎えられたのは、学校で出会った人たちのおかげだと思っています。そんなことを考えていたら、自然と涙があふれてきました。息子は健常児と違って、できないことも多いですが、それでも随分と成長したなぁって感じてました。卒業証書をもらって、自分の将来の夢を話すときに、息子は「元気に働く大人になります」そう宣言して席に戻っていきました。
 そのあと来賓祝辞や、校長先生のお祝いの言葉、在校生送辞・卒業生答辞が行われ、卒業式は終了しました。
 私は6年間お世話になった支援学級の教室に行って、K先生にお礼を言いました「本当に長い間お世話になりました。息子は中学からは支援学校の中等部に入学しますが、これからも時々お邪魔させてもらいますね」などと話をした後、通常級の教室にもいって、通常級の担任のY先生にも挨拶をしてきました。そして息子と一緒に卒業式を終えた子供たちに「本当に6年間お世話になりました。中学からは息子とみんなは違う学校になってしまいますが、時々遊びにきてやってくれたらうれしいです。本当に長い間ありがとう」そう言ってお礼を述べて、卒業式で受け取ったものを一纏めにして、帰ってきました。私が支援学級や通常級の教室に行っている間、元嫁はお世話になった先生方には、一言もお礼言わなかったそうです。あれだけ数々のトラブルを引き起こして、多大な迷惑を先生方や子供たちにかけておきながら謝罪の一言もないなんて、改めてその非常識さを思い知った私です。まぁ、元嫁から見れば、もう来ることはないし、二度と会うこともないと思っていたんでしょうね。