sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 私が「カルチャーセンター『シエロ』」という団体に対して、何か怪しい団体なのではないかと疑い始めて、なるべく関わらないようにしていたんですが、仕事にかこつけてなかなかシエロに行こうとしない私に元嫁が苛立ちを募らせていったのが2005年の五月半ば。「なんであんたはシエロに行こうとせんのよ。私はちょっとでもみんなの暮らしが良くなればいいと思って一生懸命やっているのに。なんであんたはそんなに不真面目なのよ」などと、文句を言ってました。私は「俺が行こうと行くまいと、俺の勝手じゃろうが。なんでお前に指図されてまで行かんといけねーんだよ」と言い返すと、それが気に食わないといってけんかを吹っ掛けてきて喧嘩。それ以来シエロに行け・行かないということでもめることが増えて行った次第です。時には、元嫁が勝手に「主人がシエロに行く」と吉岡や岡村たちに伝えて、「この日に行くと伝えておいたから」ということもありました。当然私は行く気はないのでそのまま無視を決め込んだら「勝手なことをしやがって」などと罵声を浴びせられる始末。私も家の中がもめるのも嫌だったので、元嫁との衝突を避けるためにシエロに行って、文鮮明のことに関わるDVDを見ては、その感想を毎回求められていたんですが、大した思い入れもなかったので「別に何とも思わなかった」ということしか言わなかったと思います。そして、よく唱えられていたのがアダムとエバが禁断の果実を食べてしまったがために人間が堕落したという、キリスト教の聖書に出てくる堕落論。私は父の弟(私から見ておじさんに当たる人)がキリスト教信者なので、小さいころに教会に何度か出かけて、聖書のことについて話を聞いたことがあったので、多少堕落論についても聞いたことがありましたが、統一教会の唱える堕落論と、正統派のキリスト教の聖書が唱える堕落論とは違うところが多々あり、統一教会の唱える堕落論で、人類の救世主メシアは文鮮明しかいないということが熱心に語られていました。これが、正統派キリスト教会から統一教会が、キリスト教の一会派だと認められていない大きな根拠となっているところです。
 そして、科学的根拠に基づいた、宇宙の法則や、地球の歴史などについて話をすると、必ず話は「それは神様が人類を喜ばせるために創造したもの」という話に持って行かれるので、天文学を知っている私にとっては、到底受け入れられない話しでした。宇宙に地球外生命は存在するのかという、根源的な問いに対しても「宇宙絵、生命が存在するのは地球だけだ」と言い放つその姿には、どうも違和感を覚えた私です。何の科学的・天文学的知識もないのに、なんでそう簡単にそう言い放つことができる?というのが私のやつらに対して思った感想です。現実の宇宙の法則とは全く相いれないことを繰り返し述べる奴ら。私が「宇宙の本当の姿について、みんなに話をしようか?」というと、吉岡たちは「それはやめたほうがいい」ということを言うので、「それは何故か」と問いかけると「宇宙で起こっている出来事は、すべて神が決めたものだから」という答えでした。要するに、統一教会のやつらは「宇宙は、地球を中心にして、あらゆる物事が起こっている」という、ガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて異端児として扱った時の教えをそのまま広げようとしているだけで、私の知っている天文学的知識が教会の中に広がるのを恐れていたためでいた。
 このようになかなか私が相手の思想に染まらないので、相手も何とか必死になって、私を口説き落とそうと懸命になっていた時期でした。