昨日のテレビ朝日系の報道番組、報道ステーションで、1950年10月、朝鮮戦争の時に、日本から派遣された掃海艇のことが取り上げられていました。アメリカ側からの要請で、北朝鮮のウォンサン付近の海上の機雷除去に当たるようにとのことで、当時の海上保安庁の掃海艇が派遣されて、ばら撒かれた機雷の除去に当たったそうですが、この中でアメリカ海軍の掃海艇が機雷に触れて沈没。これを受けて日本から派遣された掃海艇は安全とされる海上に退避していたそうですが、安全であるはずの海域で機雷に触れて、掃海艇が一隻沈没。食料を取りに向っていた乗組員が戦死したということが報道されていました。
このことが黙殺された理由は、当時は日本はアメリカの占領統治下におかれて、サンフランシスコ講和条約の受諾により日本が独立を目指していたためで、当時の吉田茂総理は戦争を放棄した憲法9条に反するのではないかと言う思いもあったようですが、日本の独立にアメリカの協力は必要不可欠と判断し、掃海艇を派遣し、この悲劇に繋がったということです。
今、日本は安全保障制度の関連で、ホルムズ海峡に機雷が敷設された場合の機雷の除去などをできるように法律を変えて、自衛隊を派遣させようとしていますが、この当時、掃海艇に乗り込んだ人たちからは「戦争を知らない。必ず戦死者が出る」と警告しています。安部総理は危険な戦闘地域には派遣させないと言っていますが、本当に危険はないんでしょうか。安全保障条約の見直しを進める前に、戦争経験者の話にもっと耳を傾けるべきではないでしょうか。