sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 2009年10月の終わりの月曜日の朝、私は有休を使って休みを取りました。その理由は、元嫁の育ての親である小野田の叔母に離婚の意思を固めて、もう後戻りができないところまで来ているということを伝えるためでした。小野田の叔母にも一切連絡を入れずに行ったのは、小野田の叔母にあれこれ考える隙を与えないためでした。なので小野田の叔母が出かける前に小野田の叔母の家に到着しておかなければならず、時間的に考えて朝6:40分ごろ家を出ました。この時間帯だと、元嫁は、私が仕事に行くものと思っており、何の疑いもなく出かけることが出来る時間帯だったので、時間になると車を走らせて出かけていきました。途中のコンビニで、亡くなった叔父へのお供え物として、お菓子の詰め合わせを買って小野田の家につくと、叔母がまさしく出かけようとしてるところでした。私は小野田の叔母が出かけようとしているのもかまわず家の中に戻ってもらって、元嫁が2007年の夏に離婚問題が勃発して以降、どの様なことをしてきたのか、事細かく話をしました。息子に対する身体的暴力の跡を写した写真や息子に対して吐き捨てた暴言・私に対するDV などの証拠を見せつけました。小野田の叔母は今まで、「智子はあれから死に物狂いで頑張ってるとばかり思ってた。」などと言ってましたが、元嫁がどのようなことをしてきたのか、現実を突きつけられて、言葉を失ってました。そして私に対して一言「あんたが家にやってきたらろくなことがない」そう言い放ちました。ろくなことがない?ろくでもないことを今の今まで何度も繰り返しやってきて、煮え湯を飲まされる思いをずーっとしてきた私や私の身内に対して言う言葉ではないと思ったので、私は「ろくでもないことをしでかしたのは、智子でしょう?そしてその智子を育て上げたのはあなたでしょうが。人に責任転嫁をするんじゃない」思わず怒りに任せてそう言い放ってました。そして、次に始まったのが自分の子供の自慢話。「私は徳山にある近鉄松下で売り場の責任者まで勤めて、生まれた子供は、娘はいいとこのお婿さんのところの家に嫁いで、息子はNHKに技術職として入局し、今は神戸におる」などと、自分の”できた”子供の自慢話を聞かされました。いいとこのお婿さんのところに嫁いだ?NHKに技術職として入局した?じゃあ、それ以外のところに嫁いだ女性や、NHK以外の仕事に就職した男性はだめだと言いたいのかと思い、私は「そんな話を聞きに、ここまでやってきたのではありません。私は自分に与えられた仕事をだれよりも懸命にこなしてきました。今は智子に対する離婚問題を話し合っているんでしょう?そんな話を聞いてなんになるっていうんですか?そんな話を聞いて離婚問題が解決するんですか?」そんなことが続いて、小野田の叔母も、今日約束していたことをキャンセルしなければならなくなり、予定が狂わされたいら立ちもあるんでしょうが、「あんたはもう離婚することに変わりはないんじゃね?だったら、智子とよく話し合ってみる必要があるんじゃないんかね」などと惚けたことをぬかすので、私は「智子と話し合って解決できるものであれば、ここに来る必要なんてありません。あんな奴と一緒に暮らしていたら、毎日のように罵声・罵倒を浴びせる姿を見せられる子供たちがかわいそうだし、息子はあれ以上智子と一緒に暮らしていたら、息子が壊れてしまう」そう言って、話し合いを元嫁としても無駄であることを伝え、元嫁には一切このことについては触れるなとくぎを刺して小野田の家を後にしました。
 そして、このまま帰ったら元嫁に怪しまれるので、私の両親の家に行って、小野田の家で話したことを話しました。父は仕事でいなかったんですが、母は「あのくそばばぁ、本当にとぼけちょるね。何を考えてるんじゃろうか」などと怒りを露わにしてました。こうして夕方まで両親の家で過ごして、家に帰った私。食事を済ませて、子供たちを風呂に入れると、子供たちは屈託のない笑顔を見せながら、今日学校であったことを話してくれました。その屈託のない明るい笑顔を見ていると、もうすぐ子供たちに辛い現実を伝えなければならないと思うと、気が重たくなる私でした