sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 元嫁との別居生活がスタートし、迎えた正月休み。私は子供たちの荷物を取りに、防府の借家に車を走らせました。この時、私が取り上げていた元嫁の携帯電話には、もう用事はないと思っていたので、元嫁に手渡しておきました。
 私が別居を始めた12月17日、この日は最低限のものしか持ち出せなかったので、12月25日に引っ越し業者に依頼して、元嫁のもの以外の荷物を全部実家の方に送る手配をしていたのでした。私が合いかぎを使って中に入ると、次男の姿が見えませんでした。「何かおかしい」と感じながらも、子供たちの荷物も私の荷物もひとまとめにして、引っ越しトラックに積んで実家についた私。この時息子も一緒についてきており、冬休みの間、実家の方で過ごすことになりました。
 私の両親も出てきて荷物の積み下ろしを手伝っていましたが、ある事に気が付きました。そう、次男の勉強道具が丸ごと一式なくなっていたのです。「そういえば次男の姿が見られなかったけど、どこにおるんじゃろ?」はっと気が付いて、もう一度防府の借家に行ってみると、元嫁も忽然と姿を消していました。「これは何かあったのでは」そう思った私は実家の方に連絡を入れて、「次男の行方が分からなくなってる」そう伝えました。あちこち探しまわってみたものの、手掛かりが得られず、どこに行ったのかわからないまま夜になりました。学校の担任の先生や、息子がお世話になっている支援学級のK先生にも連絡を入れてみましたが、学校の先生にも行方が分からないということで、最悪のことが頭をよぎりました。「ひょっとしたら、元嫁が次男を道連れに無理心中を図ったのではないか」そう思ったのです。そして、次男のクラスメイトのところに電話をしてみましたが、どこの家にも次男は来ていないということでした。そして思い当たったのが実重の家。ひょっとしたら、実重の家でかくまわれているんじゃないのか。そう思って、実重の家に車を走らせました。
 その前に元嫁と次男の行方が分からなくなっているということを、小野田の叔母に伝えておこうと思い、小野田の叔母の家に電話を入れました。「智子と次男の行方が分からなくなってるんですけど、そちらに行ってませんか?」私の問いに「はぁ、私が知るわけないじゃろうがね。私はね、もうあんたらのことは一切知らんよ」そう言って電話をぶち切られました。この言葉に、一緒にきていた母は怒り心頭。再度小野田の家に電話をかけるように私にいい、電話越しに「これだけ大騒ぎになってるのに、私は知らんよはないじゃろうが。何を考えているのか?人をコケにするのもいい加減にしなさいよ」そう言って、有無を言わさずに電話を切った母です。その後実重の家に向かい、家の前で車が停まったとなると、実重たちが怪しむと思ったので、実重の家から離れたところに車を停めて、家の前まで行って、実重の家に電話をかけてみました。実重の家からは次男の声と思われる子供の声が聞こえており、ここにいるのは間違いないのだろうと思って電話を掛けました「家の子と智子の行方が分からなくなっているんですが、そちらにお邪魔してませんでしょうか?」この私の問いに実重の父親は「さぁ、こちらには来てませんねぇ。大変ですね。何かあったんですか?」などと言ってくるので、完全に嘘をついていると思った私ですが、家の中に殴り込む権限など私にはないので、このまま、家には帰らずに防府警察署の方に行って、捜索願を出した私たちです。