sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 前回少し触れた統一教会の絵画の展覧会。この展覧会では統一教会専門の画家が描いた絵画が販売されているんですが、その販売価格は50万から100万円単位の金額です。それに消費税(当時は5%)が加算されて、販売されていました。この統一教会が主催する絵画展は、信者が友人や知人に「絵の展覧会があるから見に行かないか」と勧誘し、統一教会に入会させるきっかけづくりの側面もありますし、統一教会の資金源の一つにもなっています。また、絵画展の主催をするときは、統一教会という名前は一切出さないので、統一教会の魔の手に引っかかることもままありますので、美術館や市の広報などに掲載されていない展覧会に行く際は注意が必要です。
 また、安倍総理大臣も統一教会の熱心な信者として知られており、統一教会安倍総理との太いパイプを使って信者獲得・資金源の調達を行っているそうです。
 
 前置きが長くなりましたが、小野田の叔母の家に私がついたころには、叔母の親戚一同や、元嫁の弟もすでに到着しており、元嫁が引き起こした今回の問題は、叔母から詳しく話がなされていました。そしてあとは絵の展覧会に行った元嫁をおびき出すだけとなりました。私がまず元嫁の居場所を確かめると、「今山口県婦人会館(絵の展覧会の会場)を出るところ」ということでした。山口市国道9号線沿いにあるこの建物から小野田の叔母の家まで、車でおよそ1時間ほどかかる距離で、元嫁が到着するまでの間に、元嫁が統一教会以外のことで、どのような問題を引き起こしてきたか、私が説明しました。家のことを全然しない・子供のことはほったらかし・息子に対する身体的、精神的虐待と育児放棄・私に対するDVなど、元嫁が行った非道の限りをすべて話しました。それを聞いた親族一同は一様に「信じられない…」という言葉だけを話して、後は言葉になりませんでした。
 そうこうしているうちに元嫁が叔母の家に到着。家に入るなり叔母が元嫁のほっぺたを思いっきり引っ叩いて「あんた、よくも私の顔に泥を塗ってくれたね‼‼」と怒りを込めて元嫁に言い放ちました。元嫁は「何故自分が思いっきり引っ叩かれて、叔母に怒鳴られなければならないのか理解できない」といた顔で、「はぁ?私が一体何をしたっていうのよ」というので、「そこまで言われても、まだ自分がやったことを理解できていないか」そう思った私が「お前な、すべてお前がやってきたことは、みんなもう知ってるんだよ。統一教会に狂って家のことを全くしない・子供のこともほったらかし・食事もロクなものを作らない・息子に対する虐待・俺に対する誹謗中傷、罵声罵倒。そういったことを俺や俺の親がみんなおばさんに話して、おばさんから今日ここに集まった皆に話してもらった。もうお前の逃げ道はどこにも残されてねーんだよ」そういうと、元嫁はしばらく黙り込んでました。そして岡山県倉敷市に住む叔母の妹の旦那さんが元嫁に対して説得を始めました。「このままだと俺たちはご主人に対して離婚を突き付けられても、もう少し待ってやってくれなんて言えない。家族をとるのか統一教会をとるのかどちらしか残されていない。どうするのか?」などと元嫁を問い詰めてました。元嫁が正しいと思ってやってきたことがすべて否定され、元嫁は茫然自失になっていました。皆から全否定されて責め立てられて、逃げ道を失った元嫁が私に対して言ったのが「あんた、陰に
隠れてこそこそして、そうやって私だけを悪者にするんじゃね。皆でそうやって私だけを悪者にしておけばいいじゃん」などと言い放つので、叔母の息子が怒りを爆発させて「テメーは一体何様だと思ってんだよ。俺たちが言ってることがまだ理解できねーのか。お袋にいい加減心配かけんなよ」と言いました。そして「人に迷惑をかけたら謝る。それが人間として大事なことじゃろうが。それもできんのか」などと徹底的に罵られ元嫁はみんなから責め立てられるのに耐えきれなくなったのか、小野田の叔母や親戚一同に対して涙を流しながら「本当にごめんなさい。二度と心配かけないようにします」などと謝罪の言葉を口にしてました。しかし、一番迷惑・被害をこうむった私に対しては、謝罪の言葉はありませんでした。恐らく私に対して謝罪するというのは、元嫁のプライドが許さなかったんでしょうね。そして最後に私が「お前とはもうやっていけん。俺は離婚するつもりじゃから覚悟しとけ」そう言い放って、元嫁が統一教会とコンタクトをとれなくするために携帯電話を取り上げて、家に帰しました。
 私が防府の家を出る前には、固定電話もつながらなくするために電話線のコネクターを抜いて、ネット回線を遮断してきたので、元嫁は回線の接続などできないので、電話が事実上できなくなった状態にしておきました。元嫁が帰宅の途に就いたのが夜10時過ぎ。恐らく家に帰ったのが11時過ぎだったのではないかと思います。元嫁が帰った後、私も小野田の家を出て、子供たちが待っている実家に帰ったのでした。
 私が小野田の家を出る前、小野田の叔母が私に言ったのが「あんたのお母さんにいろいろと言われて、私は一週間、全然眠れんかった。あんたもね、もうちょっとしっかりしなさいよ」などというので、私は「お言葉を返すようですが、私は一週間どころか、ここ何年と、元嫁がやってきたことのせいで眠れない日々が続いているんですよ。私の両親も同じです。一週間眠れなかった?それがどうしたっていうんですか?私は仕事も目いっぱいこなして、何年も眠れなくて、常に疲労感が抜けないまま仕事をしていて、このままだといつ倒れるかわからん状態なんですよ。」そういうと小野田の叔母も黙り込んでました。小野田の叔母は「自分が一番ひどい目にあわされた」と思っていたんでしょうね。まさか私から反撃を食らうとは思ってもみなかったようです。