sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

東日本大震災から6年。あの日を絶対に忘れません

 2011年3月11日午後2時46分、東北太平洋沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。この地震では東北地方から関東地方の各地で震度6や7の激しい揺れに見舞われ、さらにその後発生した巨大津波によって、東北から関東にかけての太平洋沿岸に巨大津波が押し寄せ、18000人以上の死者・行方不明者を出す大災害となりました。
 この地震が発生した時、私は仕事中で、山口県内でも震度3から2の揺れを観測したそうなんですが、立って作業をしていた私には、全くわかりませんでした。そして、深刻な事態が発生していると知ったのは、会社での仕事が終わった午後7時20分過ぎ。上司が津波注意報が発令されているという張り紙を出していたので、その張り紙を見てみると、東北地方の沿岸では高さ10メートル以上の大津波が押し寄せているということが書かれてありました。尋常じゃない事態が起こっていると思った私は急いで着替えて、車に向かいエンジンをかけてカーラジオから流れる情報を聴いていました。東北太平洋沿岸では大津波によって壊滅的な被害を受けて、首都圏では電車が軒並みストップして、帰宅困難者で駅などが人であふれかえっているという情報が次々と報道されていました。
 そして、家に帰りついてテレビをつけてみると、まるでパニック映画でも見ているかのような恐ろしい光景が次々と映し出されていました。巨大津波に襲われて町全体が壊滅した映像や、逃げ惑う人や車を津波が飲み込んで行く光景が映し出されていました。そして、気仙沼では巨大津波によって大火災が発生し、消火活動もままならない状態になっていました。
 そして何より人々を震撼させたのが、福島原発の水素爆発事故でしょう。何重もの安全装置が施されているので、原発は安全だという、今になっては何の根拠もない安全神話が崩れ去った瞬間でした。この事故が復興を一層困難なものにして、事故の賠償は天文学的な金額に上ることになりました。
 今、こうやって振り返ってみると、私の実感としては、福島原発の収束も付かないまま6年が過ぎ去ったという気がします。原発は発電コストが安く、温暖化ガスも出さないクリーンなエネルギー源だと言っていましたが、ひとたび事故が発生すれば、収束に長い年月と巨額な費用が発生し、あらゆる生命にとって有害で脅威となる放射能を放出するという、恐ろしい事態を引き起こします。こういった事故を起こさないためにも、原発に頼らないエネルギー源の確保が必要なのではないかという気がします。
 今、私たちにできること。それは絶対にこの大災害を忘れないこと・そして他人事と思わないことだと思います。地震多発地帯に住んでいる私たち一人一人が、防災・減災について、常日頃から何をするべきか考えておく必要があるように思います。
 私たちの職場でもこの地震を教訓に地震発生時の避難訓練が行われるようになりましたが、その時に会社のお偉方が言うのが「今日は何分で全員が避難できたので良かったと思います」という言葉。私はこの言葉に非常に違和感を覚えます。訓練では実際に地震が発生して揺れているわけでもなく、設備などが倒壊しているわけでもないので、スムーズに避難できて当たり前です。また、津波が襲来した時に避難場所として指定されているのが、会社の事務所の2階。会社のお偉方は実際に被災地に行って、津波がどの高さまで押し寄せたか見ていないので、事務所の2階で安心だと思っているんだと思いますが、実際に被災地に行って、津波が押し寄せた痕跡をじかに見た私にとっては、「こんなんじゃあ、とても助からないな」というのが正直な感想です。今一度思い返してほしいのは、あの地震で発生した津波の高さ。最大20mもの高さと言われていますが、事務所の二階の高さはせいぜい3メートルから4メートル。山口県の対岸には四国があるため、20メートル級の津波が押し寄せてくることはないと思いますが、それでも4メートルから5メートル級の津波南海トラフ地震高知県沖で発生した場合、山口県の瀬戸内側にも押し寄せてくると予想されています。今会社の経営陣に求められているのは、職場の耐震化工事の実施と、より高いところに逃げるための訓練ではないかと思います。東日本大震災が残した教訓を生かすためにも、会社の経営側も、もっと危機感を持ってもらいたいと思います