sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 今日から連休に入ったので、私が休みの日と、その前日に基本的に更新している回顧録。今日からしばらく続けて書いていこうと思います。
 2006年のゴールデンウィークに入って、もはや家庭が壊れてしまっていると強く感じる出来事がありました。
 私がゴールデンウィークに入って、ゴールデンウィークの谷間の平日。私は仕事が休みなので、息子と次男を連れて、学校と幼稚園への送り迎えをしました。子供たちは私と一緒に学校・幼稚園に行けるということで大喜び。次男はいつもの日課で、息子の通う小学校の支援学級で、小学生と一緒に遊んでから幼稚園に向かうというのがお決まりで、私が連れて行った日も次男は小学生のお兄ちゃん・お姉ちゃんに遊んでもらってご機嫌で幼稚園に向かいました。その時、次男がポツリと私につぶやいたこと。それは「お母さんが、ちっとも僕たちと遊んでくれない。お父さんが夜お仕事に行って、なかなかお母さんが帰ってこない時は僕だって寂しいし怖い」そういうことを話していました。私は「次男が母親の愛情を必死になって求めているんだな」そう思いました。そして、次男が話したことを、まだ家にいた元嫁に話してみました。そしたら「私は忙しいんじゃから、子供と遊んでる暇などない」というのです。私は次男が母親の愛情を求めているということが分かっていたので、そのことを話すと「じゃあ、あんたが母親やれば?私は教会の仕事で一生懸命頑張っているのに、あんたらは何一つ私に協力しようとしないじゃない。そんなに愛情愛情っていうんだったら、あんたが私の代わりをやればいい」と言ってました。私は母親の代わりをすることはできても、次男の母親になることはできないと話すと「そんなこともできんの?このくそ役立たず。そんなくそ役立たずはさっさと死んでしまえばいい」ここで飛び出した元嫁からの「死ね」という言葉。私は過去に自分の存在のすべてを否定され、苦しんだ過去があるので、「死ね」という言葉にはどうしても敏感に反応してしまうんですが、元嫁に「お前な、言葉っていうのは人に生きる希望や夢を与える道具にもなることもあれば、人を殺す凶器にだってなるんだぞ。お前が「死ね」って言って、もしその相手がその言葉を苦にして自殺したらどう責任を取るんか。」というと、「夫婦だから別に何を言ってもいいじゃん」という返事。夫婦だから何を言ってもいい・何をやってもいい。親子だから何を言ってもいい・何をしてもいい。それは違うだろ。そう思った私です。夫婦だから・親子だからと言って、何を言っても・何をしてもいいわけではありません。私だって言われて嫌なこと・されて嫌なことはありますし、子供たちだって同じです。この会話を通して感じたのは、私たちの家庭は、崩壊に向けてのカウントダウンが始まっているなっていうことでした。そして第一次の家庭の崩壊が起こるのは2007年7月のことでした。