sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編。

 2007年5月2日の幼稚園の連絡帳への書き込みです。私が書いています。このゴールデンウィーク期間中は、子供たちが自転車に乗れるようにするという目標を立てて、子供たちにも伝えて、子供たちも必死になってよく頑張っていました。近所の神社で自転車の練習をしていたら、なんと次男が補助輪なしで自転車に乗れるようになったんです。そのことが書かれていました。

 5月2日
 今日は次男が補助輪なしですんなり自転車に乗れるようになるとは思ってもいませんでした。改めて子供たちのいろいろなことを吸収する能力の高さには、びっくりしました。一度コツを飲み込むと早いものですね。
 最初は家の近くの神社で練習をしていたんですが、自転車に乗れるようになると、次男は張り切って「I先生に見せに行く~」と言っていました。乗れるようになると一番最初に先生に見てもらいたかったみたいで、先生方に見てもらって褒めてもらえるとすごく喜んでました。ただ、この記念すべき日にビデオカメラを忘れてしまったので、写すことができなかったのが残念です。息子の方もだいぶんバランスがとれるようになってきたので、二人でお互いにいい刺激になってくれたらと思います。
 と書いてありました。この日のことは今でもよく覚えています。幼稚園に着くと、次男は職員室に入っていって、先生に運動場まで出てきていただいて、「僕ねぇ自転車に乗れるようになったんよ~」と言っていたのをよく覚えています。I先生も次男の成長を心から喜んでくださって、「すごーい。Y君上手じゃねぇ」と言って次男をほめてくださってました。そして、これで火が付いたのが息子。次男が先に自転車に乗れるようになったのが悔しかったのか、次男のスパルタ?教育の甲斐もあって、息子も補助輪を卒業して、補助輪なしで自転車に乗れるようになったのは、この数日後のことです。
 次男は母親である元嫁にも自転車に乗れるようになったのを嬉しそうに話していましたが、元嫁は「だから何?自転車に乗れるのがそんなに自慢なわけ?」という態度をとっていました。次男としては、母親からも褒めてもらえると思って話をしたのだと思いますが、母親からの実に冷徹な態度を見せつけられて、それからは次男は母親である元嫁には、あまり幼稚園であったことや、褒めてほしいことなどを話さなくなってしまいました。そして、こんなことが何度も繰り返されたある日、次男の怒りが爆発します。次男が幼稚園であったことや、友達のことなどを話さなくなったので、元嫁が次男を問い詰めると「だってお母さんは、いつも忙しい・忙しいって言って、僕のお話を聞いてくれんじゃん。僕だっていろいろと聞いてもらいたいことが沢山あるのに」と言って大粒の涙を浮かべながら怒りの声を上げていました。普段あまり怒りの感情を表に出すことの少ない次男が訴える心の叫び…。元嫁は何故次男が怒りを爆発させたのか理解できていないようで、私に「なんで次男は、あんなに怒ったんじゃろう。私が何かしたっていうのかな?」などと言っているので、私は「普段のお前の態度に問題があるんじゃねーのかよ。お前、真正面から子供の心を考えてねーだろ。次男はな、自転車に乗れるようになったのを、誰よりもお前に認めてもらいたかったんだよ。それくらい気付けや」というと、「だって私だって忙しいんじゃからしょうがないじゃん。」などというのでもう、本当に馬鹿に付ける薬はないと思って、子供たちと一緒に風呂に入って眠りについた私です。