sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 元嫁が帰った後、子供たちは何も知らずに、気持ちよさそうに寝息を立てていました。これから夜が明ければ、子供たちは「親の離婚」という辛い現実に直面するわけで、特に物分かりの良い次男にとっては、非常につらく悲しい思いをさせてしまうのが、非常に心苦しかったのですが、これ以上一緒に元嫁と暮らしていると、私自身が壊れてしまうという恐怖、息子も壊れてしまうという焦燥感もあり、離婚を突き付けたわけですが、元嫁はここまで来ても離婚されるということに納得がいかなかったみたいです。そして、離婚経験のある実重という女にいろいろとどうしたらいいのか情報を聞き出していたようです。まず、離婚するということになったら、絶対に子供は手放さないこと・そのためには子供の住民票の移動禁止措置を取ること・養育費をなるべく多く私からとるために、調停に持ち込むことなどを聞いていたようです。
  
 夜が明けて朝食を済ませた後、子供たちには「レストランにパフェを食べに行こうか」と誘って、車に乗せて元嫁と待ち合わせをすることになった、家の近くのファミレスの駐車場につきました。すでに元嫁は駐車場にきていて、私はおもむろに「お父さんからみんなに大事なお話がある。よく落ち着いて聞くように」と前置きをしたうえで、「お父さんはお母さんと離婚することになったから。お父さんはね、皆の暮らしが少しでも良くなるように一生懸命頑張ったけど、お母さんはね、お父さんに死んでほしいんだって。お父さんも今ね死ぬわけにはいかんから、お母さんのもう一つに願いである、出ていってほしいというのを叶えてやるから」そう切り出して、子供たちに、私と元嫁は離婚するということを伝えました。元嫁は「今は死ねなんて言ってないし、出て行けとも言ってないじゃん。何も子供の前でそんなことを言わんでもいいじゃん」と言っていましたが、私は「今言ってないからいいとか悪いとか、そういう問題じゃねーんだよ。お前は俺に出ていってほしい・俺はお前と一緒にいたくない。完全に利害関係が一致してんじゃねーかよ。それでいざ離婚を切り出されたら慌ててんだよ。俺は前々からお前とは別れるって言ってたじゃろうが。どういう気持ちで俺の言う事を聞いてたんだよ」というと、「あれは冗談だと思ってた。今まで私が言ったことで、あんたの心が傷ついたなら、本当に謝る。だから離婚を思いとどまってもらえんか。私は狭心症を抱えていて仕事も出来んし、今放り出されたって、どうやって生活していけばいいのかわからんし」などと言っていましたが「そんなこと知るかこのくそボケが。お前が今までやってきたことがすべてこういう結果になってるんだよ」
 私と元嫁が話をしている間、次男は「離婚なんて嫌だ。お父さんとお母さんが一緒がいい」などと言って大粒の涙を流しながら泣いていました。「次男もこういってるし、もう一回チャンスをくれんか。今度こそ本気で頑張るから」「はぁ?何を寝ぼけたこと言ってんだよ。俺はお前に対して一回チャンスを与えてやったろうが。もうこの次なんてねーんだよ」そう言って冷たく突き放して、子供たちに「まだ学校があるから、今日はお家に帰りなさい。そして、お父さんと暮らすのか、お母さんと暮らすのか、自分で決めなさい」そう言って子供たちとは別れました。一番心配な息子を残して帰るのは忍びない思いがしましたが、まだ2学期の残りがあったので、それに出席させないわけにはいかないので、心を鬼にして子供たちを置いて帰りました。車のドアを閉めて走り出すと、次男の「お父さん行かんで~。帰ってきて~😢」という叫び声が聞こえましたが、私は振り向くとつらくなると思ったので、涙を流しながらその場を離れました。こうして2009年12月19日、私は元嫁のもとを離れて別居生活が始まったのでした。この時点では、私は向こうに離婚の原因があると思っていたので離婚も早く成立するんじゃないかと思っていましたが、思わぬ長期戦にもつれ込むことになったのでした。