sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 離婚調停も始まってから半年が過ぎて、正直「もういい加減早く終わってくれよ」そう思ってました。金のためならどこまでもしつこく食い下がる元嫁に対して、正直辟易してました。7回目の調停は子供が夏休み期間中だということもあって、元嫁が子供たちを連れて裁判所にきてました。もちろん調停の話し合いの間は、子供たちは別室で待機することになるんですが、相も変わらず元嫁は「子供は自分が育てる」と言い張ってました。そして私は手がかかる息子はどうやって子育てするつもりなのか、調停員さんを介して聞いてみました。この問いに関しては「周りの人たちと協力して育てていく」という答えが返ってきました。しかし、これは元嫁が一番嫌う事であり、絶対に周りの人や、アパートに住む近所の人たちと協力することなんて、まずありえない。そういうことを伝えて、話は平行線のまま。そしてとうとうしびれを切らした調停員さんが「子供さんたちが今ここにきてるから、子供さんたちの意見を聞いてみよう」ということになりました。
 実の母親から数々の暴力や暴言を浴びせかけられ、存在そのもの否定され続けてきた息子は「お母さん嫌だ・帰りたくない」そう言って母親との暮らしを拒否。元嫁は「なんで?お母さんと一緒に暮らした方がいいじゃろ?」などとなだめすかしてましたが、息子は一切聞き入れることはなく「僕、お父さんとばあちゃんちに行く」そう言ってました。一方の次男は「僕、お母さんを一人にしたら可哀そう。僕はお母さんのところに行く」そう言ってました。これで、この離婚調停の争いは事実上決着しました。息子は私と共に私のもとで暮らすことに。次男は母親のもとで暮らすことになりました。そして7回目の調停は終わり、8回目の調停では養育費の支払いや、いつ息子の荷物を受け取りに行くのかなど、そういった細かい事が話し合われることになりました。
 こうして、息子が我が家で暮らすことが事実上決まり、学校の先生のもそのことを伝えておきました。そして、学校とは、通学の方法などの話がありました。家から4キロほど離れたスーパーまでは通学バスが出ているので、そこまで息子を送り迎えし、息子は通学バスに乗って支援学校まで通学することになり、住民票の異動も済ませて息子の抑圧された生活は終わったのでした。