sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

沖縄戦が終わってから75年

 今日、6月23日は、太平洋戦争で最大の激戦地で、唯一の地上戦が行われた沖縄で、日本軍による組織的な戦闘が終わった日とされて、沖縄慰霊の日として、追悼行事が行われました。

 沖縄県民の1/4にあたる20万人もの民間人が犠牲となった沖縄戦では、今でも米軍基地の重い負担や、普天間飛行場の名護市辺野古への移設問題など、国が率先して解決に向けて取り組まなければならない課題が山積しており、これらの問題が解決しない限り、沖縄の人にとって真の平穏というのは実現しないのではないでしょうか。

 私は1997年の4月に沖縄県を訪れて、ひめゆり学徒隊の慰霊碑のある摩文仁の丘と平和の礎、そしてひめゆり記念館を訪れてきました。新婚旅行で訪れたんですが、ひめゆり記念館では、沖縄戦の様子が模型でリアルに再現されていて、戦闘に巻き込まれて亡くなられた学徒隊員の方や、引率された先生方の名前が記されていました。そして、どの様にして命を落とされたのかも詳しく書かれていました。そして語り部として、沖縄戦の悲惨な出来事を後世に伝える活動をされている、ひめゆり学徒隊の中で、何とか生き延びることができた女性の方の話を伺うことができました。その女性が話されたたった一言「まるで生き地獄のようだった」という言葉に、その戦闘が如何に悲惨な状態であったかを物語っているような気がしました。その語り部をされていた方は、私が訪れた当時68歳。あれから23年の歳月が流れて、今は語り部の活動からは一線を引かれていると思いますが、今もあの沖縄の青い空と海のように元気に暮らしておられるのかなぁと思います。

 今一度私が思うのは、多くの犠牲を出したあの太平洋戦争は、一体誰のための、そして何のための戦争だったのかという事です。歴史にタラレバを言っても仕方がないと思うんですが、もし日本がドイツやイタリアと同じように、もっと早くに無条件降伏に応じていれば、東京が大空襲を受けることも、沖縄で悲惨な、地獄のような地上戦が行われることも、広島や長崎に原爆が投下されることもなかったのだろうと思います。今は戦争当時のことを知る方々が少なくなって来て、今を生きる私たちが、子供や孫に対して、日本が過去に侵してしまった大きな過ち、そしてそのためにどれだけ多くの犠牲を払ったのかを伝えていかなくてはいけないなと思っています。

 私が住んでいる地域の多くの小学校では、修学旅行で宮島と広島の平和公園を訪れ、平和について学んでいますが、今一度、大きく成長した子供たちを連れて、平和への祈りを込めて、平和公園に行って来ようと思います。