sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

平和を祈念する大切な場所が…

 沖縄戦の記憶を今に伝えるガマと呼ばれる自然洞窟での集団自決。72年前の沖縄戦で、住民83人が集団自決した沖縄県読谷村の自然壕「チビチリガマ」の内部や入り口付近が、荒らされていることがわかりました。内部は立ち入りが禁止されており、遺族や関係者は「大切な肉親を侮辱された気持ちだ」「なぜこんなことをするのか」と大きなショックを受けています。警察に被害届を出すことも検討しているそうです。

千羽鶴引きちぎられ、遺品の便を割れる

 元村議で僧侶の知花唱一さん(69)が12日午前11時ごろ、イスラエルのジャーナリストを案内するために訪れた際に荒らされていることに気が付いたそうです。
 知花さんらによると、入り口に建てられている「世代を結ぶ平和の像」の石垣が壊され、近くの看板も引き抜かれ、修学旅行生らが折った千羽鶴も引きちぎられていたそうです。内部では、遺品の瓶やツボが割られていたほか、皿に集められていた入れ歯などが散乱。同じく包丁が折り曲げられていたそうです。小さな骨を集めて納めていた場所も荒らされていたそうです。入り口には遺族会による看板があり、立ち入り禁止理由を「ガマの中には私たち肉親の骨が多数残っています。皆様にはガマに入って、私たちの肉親を踏み潰していることを私たちは我慢できません」と説明しています。「遺族にとってはガマは墓と同じ。なぜこんなことをするのか。悲しい」と知花さんは話しています。
 遺族会によると5日に訪れたときには荒らされていなかったそうです。チビチリガマで祖父母ら5人が犠牲になった与那覇徳雄会長(63)は「肉親を傷付けられた様な気持ちで、ショックが大きい。こんなことをする人の気持ちがわからない」と話しています。
 チビチリガマでは1987年に「世代を結ぶ平和の像」が壊されたそうですが、95年に遺族らによって修復されたそうです。

平和運動に反感か

 識者には様々な反応が広がっています。
 比屋根照夫・琉球大名誉教授(日本政治思想史)は「チビチリガマは戦争体験の象徴で、全国から平和学習に訪れる場所。差別的なヘイトスピーチが全国的に問題になっているが、今回のような場所を破壊することは何らかの政治的な意図が背景にありそうな気がする」と推測しています。
 安仁屋正明・沖縄国際大学名誉教授(日本近代史)は「沖縄戦の経験を後の世に伝えていきたいという思いを押しつぶそうというのは許せない。沖縄の平和運動に反感を持った人間によるものではないか」と語っています。

沖縄県読谷村にある自然壕。浅い谷の底にあり、川が途中で尻切れになる場所という意味から名づけられたとされています。村史などによると、沖縄戦で1945年4月1日に米軍が読谷村など沖縄本島中部西岸に上陸した際、住民140人が避難していたそうです。住民は米軍につかまることを恐れ、翌2日に家族同士などで手をかけたり、毛布に火をつけたりして83人が集団自決しました。「地獄絵図さながらの惨状」で、6割が18歳以下の子供たちだったそうです。戦後、遺族は長年口を閉ざし、戦後38年たった83年に真相が明らかになったそうです。

沖縄の人にとっては、亡くなった家族に思いをはせる大事な場所なはずです。そのような大切なところに土足で踏み込んで、しかも大切なものを壊して荒らすとは…。真面目な人間のやることではないですよね。何が目的でこのようなことをしたのか、真相はわかりませんが、決して許されるものではありません。千羽鶴を折った修学旅行生が、どんな思いで折ったか・この壕の中で集団自決するしかなかった人たちが、どの様な思いで最期を迎えたのか。そのようなことに思いをはせることも出来ない人間がやったことなんでしょうね…。なんの怨みがあったのかは知りませんが、怒りを覚えますね。
 私たちは太平洋戦争末期に沖縄で起こった数々の悲劇を忘れてはいけないと思います。今では沖縄戦の悲惨さを直接体験された方々も少なくなってしまいましたが、私は沖縄を訪れた際に、ひめゆり学徒隊の方々から聞いたことを絶対に忘れずに、子供たちに語り継いでいこうと思います。