2007年の暮れも押し迫った正月休み。普通なら、普段の仕事からしばらくの間解放されて、気分もリフレッシュできるんでしょうけど、私の場合は、元嫁の顔を見るのも嫌だったので、どうしても顔を合わせる時間が増える長期連休が苦痛でなりませんでした。なるべくなら顔を合わせたくない。顔も見たくないし、話をしたくもない。そう思ってました。この年の夏に初代プレマシー号から初代アクセラ号に車を買い替えたので、アクセラ号に乗って泊りがけでドライブに出かけようかとも思いましたが、なかなかそういうことも出来なかったので、熊毛に行ったり、私の両親の家に行ったりしてました。そうでもしないと、元嫁と一緒にいると息が詰まりそうでした。
一方で統一教会と、いまだに蜜月な関係を続けてきたことがばれた元嫁。私から関係を完全に絶たないと即離婚ということを突き付けられて、それから統一教会との連絡のやり取りは、通信履歴を見るだけではしてなかったようですが、これは本当にそうなのかというと、実のところは怪しいところがあるのではないかと思います。そう、通信履歴を削除してしまえば、私にはわからないので、いくら元嫁が「関係を絶った」といっても信用できないからです。そこで私は元嫁がどこに行ったのかわかるように、元嫁の車に搭載されていたカーナビを以前にもまして細かくチェックするようにしてたんですが、関係を絶ったと宣言しているにもかかわらず、車のエンジンがどこで切られたかを示す、カーナビのビーコンを確認してみると、統一教会の建物の敷地内や、統一教会の関連施設であるカルチャーセンター「シエロ」の駐車場、インチキ印鑑屋のハピネスの駐車場でエンジンが切られたことを示す赤いビーコンが表示されているんです。もちろん、パンの配送で車を使っているので、その配送先のビーコンも残されていましたが、仕事の合間を縫っては統一教会に出入りをしていたようです。私には、もうどうやったら元嫁が統一教会から脱会するのか、わからなくなってしまったというのが正直なところです。元嫁は自分が働いて稼いだ金をすべて献金していたようです。まだこのころはリーマンショックが起こる前だったので、私の仕事も残業があり、夜勤もあったので私たち4人が普通に食べていくには困らない収入があったんですが、2008年の秋に勃発したリーマンショックで、私たちの生活も一変することになります。残業がない、夜勤もないで私の収入も最盛期の半分に落ち込んでしまって、とても統一教会に献金するどころではなくなったのです。
そんな大波乱が起こった2008年の幕開けでした。