sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

海底の君へを見て

 昨日の夜7:30分から放送された藤原竜也さん主演のドラマ「海底の君へ」。このドラマは、中学時代に激しいいじめにあい、フラッシュバックに今もなお苦しんでいる主人公の前原しげおを中心に描いたドラマでしたが、このドラマ、私も同じいじめ被害者として、非常に納得のいくドラマでした。
 このドラマは茂雄とヒロインの真帆が偶然出会うところから始まります。そして最後茂雄の固く閉ざされた心を開くんですが、このドラマ加害者側のこともきちんと描かれていていました。加害者側は、いじめたことすら忘れてのうのうと今の社会の中で生きているんですよね。そして加害者側が必ず言う言い逃れが「いじめられる側にも問題がある。」という言葉。それは虐める側の勝手な言い分なんだよなぁと思いながら見ていました。そして加害者側のリーダー格だった少年立花は弁護士としての仕事をこなしながら「いじめられた側は自殺すればそれで終わりかもしれないけど、加害者側には人生があるんだから」という言葉を言っていましたが、これもいじめに加担した側の勝手な言い分でしょう。そして主人公の茂雄はずっとフラッシュバックに苦しみ、冷たい海底を這うような生活を強いられ、人生をめちゃくちゃにされて、家族の人生までも破壊されて「俺がいじめに苦しんでた時と同じだ…」という思いで見てました。そして催された中学校の同窓会。主人公の茂雄は、クラスメイト全員を道連れに会場を爆破する決意をして会場に姿を現し、体中に手製の爆弾を巻き付けて爆破をしようとするところを真帆に助けられて、懲役5年という実刑判決を受けるという話でした。いじめのリーダー格だった立花は、自分の身に危険が及ぶと見るや、その場限りの謝罪の言葉を口にし、ほかのみんなは「俺は何もしてないぜ」ということを言い出します。たしかにほかのみんなは何もしていなかったのかもしれません。しかしそれは「加害者にならなかったけど助けることもしなかった」という意味です。
 そして、この事件が明るみに出るや、テレビでこの事件を知った一般市民は主人公がどのような苦しみにあえいできたのか考えずに、爆破しようとした側が悪いという風潮で見る。これも世の中の一般的なものの見方なんだろうなって思いました。

私は虐めというつらい経験を、このブログで何度も話してきましたが、このドラマの主人公のようにいじめにあって、心にとてつもなく深い傷を負って、その深い傷に苦しめられ、自分が生きている意味さえ見いだせない気持ちや、やり場のない怒りや苦しみ、自分だけでなく家族の人生までも狂わせてしまったことへの恨みの気持ち。私にはよくわかります。そして警察沙汰になるような事件を起こしてしまう気持ちも。私も大阪に住み続けていたら、このドラマの主人公と同じことをしていたかもしれません。それくらいいじめというのは被害者の人生を狂わせてしまう、恐ろしい行為なんです。どんな理由があるにせよ、いじめが絶対に許されるわけがないんです。そう、人を殺してはいけないのと同じように。いじめは人の心を殺す犯罪なんだっていうことを分かってほしいと恩顧います。でも、このドラマを一番見なくてはいけない、いじめの加害者はみてないんでしょうね。
 皆さんは海底の君へを見てどのような感想を持たれたでしょうか。