sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

離婚から3年

 昨日も書き込みしましたが今日は離婚してから3年を迎えた私です。離婚と言うのは結婚の数倍のエネルギーが必要と言うのを聞いたことがある私ですが、それは凄く的を得た言葉です。元嫁が素直に離婚に応じていれば裁判所に通うということもなかったはずです。裁判所に通うために会社に休暇の申請をしなければならないと言うのは職場の同僚に対しても申し訳ないし、家族にもいろいろと心配をかけて、元嫁のおかげでみんなが振り回される結果になりました。元嫁が裁判に訴えた大きな理由は2人の子供の親権を確保したいからと言うことからでした。
 その前に、次男の気持ちを確かめる前に次男の転校の手続きをとろうと市役所を訪れてみると、住民票の移動禁止措置がとられており、住民票の移動が出来なくなっていると言うことを告げられて、愕然とした私です。これは離婚経験のある息子の同級生の母親の入れ知恵で、この母親は離婚を告げたその日に元嫁と一緒に私の実家に押しかけてきて、私と話をさせるように執拗に迫ったようです。このとき私は次男のクリスマスプレゼントを買いに行ってルスにしてました。全く赤の他人が余計なことをするなと思いますが、この母親、次男を預かっているにもかかわらず、次男の行方が分らなくなって心配しているのに「心当たりありませんねぇ」ととぼける始末。これで一気にこの母親とは険悪な中になりました。そして、親権のことについて裁判所に行くように仕向けたのもこの母親。全く忌々しいやつです。次男の移動禁止措置が取られているので私もその報復に次男の住民票の移動禁止措置をとりました。どうして私が次男の住民票の移動禁止措置をとったかと言うと、借家の大家さんから2010年3月末をもって退去して欲しいと言うことを言われていたので、私が移動禁止措置を取ると元嫁も困るからです。私も目には目をと言う気持ちでした。
 こういう状態で裁判が始まり、家裁の調停委員さんにいろいろ今までのことを話して、公平な立場で判断してもらおうと言うことになりました。元嫁は2人の子供の親権を強硬に主張しましたが、私はとてもじゃないけど認めるわけにはいきませんでした。なぜなら息子の親権を獲得すると療育手当てとしてその当時は毎月5万円ほどもらってましたが、それが手に入る・子供手当てが手に入る・母子手当てがもらえる・私からの養育費が倍になる。黙っていても働かなくても毎月15万円前後の金が手に入るわけですから。息子のことが可愛いから育てるといっているんじゃなくて金目当てだというのははっきりと分ってました。なので、私は一歩も引く気はありませんでした。そうこうしている内に家を明け渡し、次男の転校の時期が近づいてきて、元嫁にも焦りの色が見えてきたのが顔つきから見ても分るくらいでした。そして調停委員さんからお互いの譲歩案が出されて、私は次男の住民票の移動禁止措置を解除する・元嫁は息子の親権を放棄すると言うことで一応の決着を見ることになりました。この辺のことはまた回顧録のなかで詳しく述べていこうと思います。
 いわば今日は私が元嫁が私や息子に対して行っていた恐怖政治から解放された日でもあります。でも、」本当に開放されたと言うのは私が精神安定剤睡眠薬に頼らなくてもぐっすりと寝られるようになった日のことを言うんだろうな・・・。そんな気がしてます。私は過去に激しいいじめを受けて精神的に大きなダメージを受けてそれがようやく回復したと思ったら今度は嫁との泥沼のような離婚と言う大きなダメージを受けて、今はまだその回復途上にあるんだと思います。いつになったら薬に頼らずに眠れる日がやってくるのか、それまで私が抱え込んでしまったうつ病と気長に付き合っていくしかなさそうです。