sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

もうすぐやってくる、私が何もかも、全てを失った日。

1984年3月30日、私は生まれ故郷の大阪を離れて、山口に引っ越しました。いじめ被害に遭い、私が自殺未遂を起こし、もはや精神的に崩壊するのが時間の問題だということで、最悪の事態を招かない様にするための措置で、この日で私が大切にしていた、思い出や楽しかったこと、嬉しかったことや、姉や妹と喧嘩しては仲直りした、いろんなことがたくさん詰まった家が重機によって破壊され、瓦礫の山となっていくのを目の当たりにして、涙が流れました。引っ越しして大阪を離れることがわかってからは、こうなることは頭ではわかってましたが、音を立てて崩れていく家を見ると、悔し涙やこれからどうなるのかという不安、両親や姉や妹に対して申し訳ないという気持ちとか、いろんな感情が入り混じった涙でした。

旅立つ時、1番の友人が見送りに来てくれましたが、加害者本人や加害者家族の誰1人、謝罪に来ることはありませんでした。本来なら、私も生まれ育った家で中学高校と進学し、大学進学や就職など、全く別の人生があったのかもしれません。私の夢は、地元の鉄道会社の乗務員になるというものでしたが、それは永遠に叶わぬ夢となってしまいました。将来の夢まで奪い去った悪夢の様な暴力と数々の暴言から逃れるためとはいえ、全てを失った事実を前にして、私は燃え尽き症候群というか、何もやる気が起きず、投げやりな状態でした。

今は私の生まれ育ったところは、駅が高架になり、駅周辺も再開発で大きく様変わりし、私が乗務員に憧れていた鉄道会社も、当時から走っている車両もほとんど見かけなくなり、時代の移り変わりを感じます。私が住んでいたところも、家が2軒建っていて、変わったところが多かったですが、わずかながらに変わっていなかったところもあり、あぁ、俺はこの場所で暮らしていたんだなと思い返してます。

今私は生まれたところに行くことはできますが、生まれたところで暮らすことは不可能です。本来なら、加害者側が全てを失って、被害者に謝罪と賠償をして、出ていくのが筋なのではないかと思いますが、日本の司法は加害者に優しく被害者に冷徹です。いじめは犯罪だということは、小学生も高学年になれば、理解できてます。犯罪行為をしたものは未成年という理由だけで、実名の公表を隠したり、いじめられる側にも原因があるとか、加害者に都合のいい屁理屈を並べたりするのは、犯罪行為を容認しているのと一緒だと思う私です。