sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

 今日、サンデーモーニングの風を読むというコーナーで、躾について取り上げられていました。街角を行きかう人に「躾」と書いて何と読むか?という問いに、答えられない人が多くて意外な気がしましたが、「しつけ」と読むということが伝えられてました。身を美しくするという意味を込めて躾という漢字が使われるようになったのかと言う気もする私です。
 風のコーナーでは、懲戒権という言葉も使われていました。懲戒権とは、民法で規定された親が子供に対して、悪事を働いたときなどに身体的・精神的な痛みを伴う懲罰を下すことをさす言葉だそうですが、この懲戒権と言うのは、明治時代につくられたものだとか。いわば、躾のための暴力は許されるというもので、これが、いま大きな社会問題になっている虐待の根底にあるのではないかと言う事でした。この懲戒権は2011年に民法が改正された痕も残ったままの状態だそうで、今一度懲戒権の取り消しが必要なのではないかと言うことを問いかけていました。
 躾と虐待の違い…。私は子供たちが悪戯や、他の人に迷惑を与えるようなことそした場合、手を上げるのではなく、言葉で子供の人権を意識しつつも、厳しく叱っていけないことをしたんだということを伝えてきました。私が子供を叱る時の手を上げなかった一番の理由は、暴力で言う事を聞かせようとすると、子供たちが委縮してしまって、今度、何か子供たちがいけないことをしたときに、正直に話さなくなってしまうんじゃないかと言う思いがあったからです。子供の自尊心・プライドを傷つけないように気を付けながら、何がいけなかったのか、考えさせるようにしてきました。何がいけなかったのか、何をして自分は叱られたのか、自分で考え理解させないと、ただ親の言う事を聞くだけの私のコピー人間になってしまうという思いもありました。確かに私の二人の子供は、私の子供であることには間違いありません。でも、私の子供であっても、私とは違う人格を持つ人間であり、あくまでも対等な立場であるはずです。親だから子供に対して何をしてもいい・何を言ってもいいというわけではありません。親子であっても、対等で同じ人権を持つ一人の人間なんだという視点が、虐待を働く親には欠けているのかなって気がしました。