sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 2006年3月に貸した64万円が、統一教会から払い戻された7月の終わり。これで一区切りがついたと思い、ようやく奴らから解放される日が来ると思ってました。しかしその考えは甘かったです。吉岡や長岡たちが私が仕事が終わるころを見計らって、家にやってくるようになったのです。その目的は、元嫁が統一教会に対して支払った金の返却をあきらめさせるためでした。
 吉岡や長岡たちがやってくるたびに、近所のファミレスに呼び出されて「奥様の調子はいかがですか?」「近くを通ったので、寄ってみました」などと、そういうことを話しかけてきて、いつまでも長話をして、私が「金の返還はもういい」というまで、諦めるつもりはなかったようです。私もいい加減うんざりしていたので、奴らがやってくる度に「またかよ。いい加減にしろよ」と思っていました。そんなことが1週間ばかり続いたでしょうか。私は一刻も早く奴らから解放されたいという思いと、統一教会に対して支払った金は、元嫁に弁済させればいいと思っていたので「もう、お前らに支払った金の返済はいいから。その代り、二度と俺らの家族には近づくな。そして、一切の連絡はするな」ということを言って、その証拠として「今後、統一教会に関わる者は、一切Y家に関わることをいたしません」という覚書を一筆書かせて、その見返りとして、私も「統一教会に対して、金銭の返還の要求をしない」という覚書を書いて、お互いに交換しました。それから奴らが私たちの住む家にやってくることはなくなりました。
 それから数日後。元嫁と些細なことから口論になり、元嫁が私に対して「泥棒」と言ったことがありました。私がその真意を問いただすと「私の独り言じゃん。いちいち突っかかってこんでよ」などというのですが、その泥棒という言葉は、明らかに私に対して向けられたものでした。私が「泥棒行為を働いたのは一体誰なんだよ。俺がお前のものを盗んだとでもいうのか。お前が俺の働いてもらった給料を、何の相談もせずに統一教会に払ったんじゃろうが。泥棒をテメーなんだよ」そう言って、私はお金をおろしに近所のコンビニに行ったんですが、元嫁が、自分が言った「泥棒」という言葉を私の両親に告げ口されると思ったのか、現金を引き出していると、「あれはあんたに対して言ったことじゃないんじゃから、悪く思わんでね」と言ってきました。私は現金を引き出した後、自分の車に戻って思いっきり「ふざけんじゃねーぞ」と怒鳴りつけてやりました。胸糞悪い思いがして、私はすぐには家に帰らなかったんですが、私がなかなか家に帰らないことで、元嫁は私が、私の両親に自分が言ってしまったことを告げ口していると思っていて、私が家に帰るとどこで何をしていたのかしつこく聞いてきました。私は腹の虫がおさまらなかったので、「じゃかましい。黙れこのくそボケが」それだけ言い残すと、自分に部屋に閉じこもって、そのまま次の日を迎えました。この元嫁が言った泥棒という言葉。元嫁の心のうちが出たものだろうと思います。そして、このように思っていたことがショックで、この一件があって以来、私の不眠症は悪化の一途をたどったのでした。
 そしてさらにこの翌日、私の神経を逆なでするように元嫁が「今度のお盆休み、何日に熊毛の実家に行こうかねぇ」と私に聞いてくるので、私は「お前な、あれだけ迷惑をかけておきながら、謝罪の言葉も口にせずに、よくそんな寝ぼけたことが言えるな。俺は、お前が二度と俺の両親の家や、熊毛の実家の家の敷居をまたぐことは許さん」そう言って、私の家族や身内の家に出入りすることを一切禁止しました。元嫁は何故自分が「二度と敷居をまたぐことは許さない」と言われたのか、理解できていなかったようです。常識的に考えて、私が元嫁の立場だったら、二度と相手の両親や身内に対して顔を合わせることはできないと思います。それを平気でまた顔を合わせようと思う神経が、私には理解できませんでした。
 そして、元嫁の「死ぬ気で頑張る」ということの表れとして、私がその指標としていたのが、どのような料理を作って食べさせたか。ということでした。毎日私が携帯で写真を撮り、その写真を写メで私の母に送っていたんですが、そのことで、元嫁は「何?私を監視してるわけ?そんなことをして楽しい?」などというので、私は「お前がどの程度死ぬ気で頑張ってるのか、みんな見てるんだよ。お前は常に監視されていることを忘れるな」そう言って、元嫁に対する監視がずっと続くことになったのでした。