sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録結婚生活編

 私の祖母が体調を崩して入院し、担当医から『もうこの先、長くは持たない』といわれて、みんな覚悟はできていたと思います。夏休みが終わって、いつものように新学期が始まって幼稚園に登園するようになって、私も息子が幼稚園に登園するのを見送って、夜勤に入っていたときです。実家から一本の電話がかかりました。それは、仕事が終わって携帯電話を見て、『何かあったな』と思ったので、母に電話をかけてみると『祖母が昨夜遅く亡くなった』と言うことでした。そしてそのことを上司にすぐに連絡すると、『今日から今週いっぱい休んでもいい』と言うことだったので、忌引き休暇をいただいて、幼稚園にも連絡を入れて、家には、私が帰るまでに喪服を用意しておくように元嫁に伝えて、私は仕事の片づけを終わらせて、急いで帰ると、喪服に着替えて子ども達を車に乗せて、元嫁と一緒に熊毛の実家に向った私達です。
 熊毛の実家に着くと、すでに祖母の遺体は棺おけの中に納まっており、すべての苦しみから解放されたような穏やかな顔で眠っているようでした。
 次男は祖母が亡くなったということがまだ理解できていなかったようで『ひいばあちゃん、なんでこのはこの中に入ってるの?』と私に聞いてくるので、『ひいばあちゃんはね、長い一生を終えて、今日死んじゃったの。もうね、会いたくてもあえなくなるンよ。だから今のうちのひいばあちゃんのお顔をよく見ておきなさい。』そう伝えて、次男に、安らかな顔をして眠りについている祖母の顔を見せてあげました。二人の子供にとっては初めてとなる身近な人との永遠の別れ。
 祖母が生きた時代は、まさに激動の時代でした。明治末期に生まれて、満州事変に始まる日本の軍国主義化に向う時代、そして太平洋戦争の開戦・広島・長崎への原爆投下・戦後の混乱期から高度経済成長の時代を経て、平成に入って、体が言うことを利かなくなったことを理由にこれまで第一戦で働いてきた農作業から引退し、娘である熊毛の両親夫婦に道を譲って天気のいい日は外に出て庭や畑の草取りをするのが、毎日の日課になっていました。そして、可愛がっていたビーグル犬のマルチャンと遊ぶのが大好きだった祖母。お通夜・葬儀告別式が済んで、祖母がいなくなると、熊毛の実家の家がやけに広く感じられました。このときはみんな母の親戚一同や大阪の親戚も駆けつけてくれて、しばし、祖母の話を種に色々と話をしました。
 今でも忘れられないのが、次男が出棺の時に言った『ひいばあちゃんさようなら』と言う言葉。次男も人が死ぬということがどういうことなのか、次男也に理解したんだろうと思います。息子も、「ひいばあちゃん、バイバイ」といって最後の出棺の時に見送ってました。大勢の子どもや孫たち・ひ孫に見送られて、祖母はあの世に旅立っていきました。そしてこのあと、股元嫁がくだらないことで文句を言い出すのでした・・・