sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

失ってから気付く大切なもの

 昨日、大きく報じられた小林麻央さん逝去のニュース。ブログなどから、いかに家族を大切にしてきたかがよくわかります。そして自分自身、残された時間をどのように生きていくかという思いも。ご家族の方々はなくなられた麻央さんを思い出しながら、今日という日を迎えられたのではないかと思います。
 私もこれまでたくさんの別れを経験してきました。私が体験した一番最初の永遠の別れは、小学3年生の時。父方の祖父の死でした。骨肉腫を患い、最後は眠っている間に静かに息を引き取りました。私は小さい頃、最初の男の子ということもあってか、ものすごくかわいがってもらって、幼稚園に入る前から祖父に数字やひらがなを教えてもらってました。幼稚園や学校から帰ると、よく祖父と遊んでもらってました。亡くなった後も、なかなか実感がわかなくて、いつものように祖父がいた部屋に行くと、そこにあるのは主を失った部屋があるだけ。「あぁ、もうじいちゃんはいないんだ…」そう分かってはいても、どこかにいるんじゃないか?そう思っていたのを思い出しました。
 その次は中学2年の時、母方の祖父が他界しました。肺がんでした。母方の祖父は厳格な人で、曲がったことが嫌いな、躾には厳しい人でしたが、私が大阪から遊びに行くと、いつも真っ先に出迎えてくれて、「よう来たのぉ。」そう言っては家の中に迎え入れてくれてました。母方の祖父は手先が器用で、畑仕事で使う鎌を研いだり、買ってきた魚をさばいてすり身にしてかまぼこを作ったり、よく私は祖父のすることを見ていました。時には祖父と一緒に畑に行っては、畑仕事を手伝ったり、収穫作業を手伝ったりしてました。その祖父が残した格言として「おいしいものを食べたいと思うのであれば、苦労を惜しむな」それは戦時中から終戦直後の物資に乏しい中で、自分の子供に何とか美味しいものを食べさてやりたい。そういう思いから出た言葉でした。その格言は今も、私の心の中で息づいています。
 そのあと2003年には母方の祖母が老衰のため亡くなり、熊毛の実家は今では高齢の両親が二人で暮らすだけになりました。祖母とは一番思い入れがあり、私が小さいころから絵本を読んでくれたり、昔ながらの遊びを教えてくれたり、勉強の面倒を見てもらったり、本当に祖母にはお世話になりました。
  
 そのほか、死別ではないですけど、私が虐められたことが原因で、故郷の大阪を離れなくてはならなくなった時、仲良しだった大阪の親せきや友人とも別れなくてはならなくなり、今まで身近にいる親せきや友人がそばにいるのが当たり前だと思っていましたが、そうじゃないんだと分かったときに、自分が失ったもの、失ってしまったものの大きさ、大切さにあらためて気づかされました。
 今ふと思うのが、天国へ旅立って行った祖父母や、高校時代の友人は、今天国でどんな暮らしをしてるのかな?向こうで元気にやってるかな?そういうことを思ったり、もし私が故郷の大阪で生活していたなら、どんな生活を送っていたんだろう。気の知れた友人や仲間と楽しくやってたのかな?そう思うときがあります。
 人間身近にあるものの大切さは、なかなか気が付かないことが多いですが、失ってからその存在の大きさに気が付くことも多いと思います。失っているからこそ分かる身近な人や友人のありがたさや大きさ、大切さ。本当に大事にしないといけませんよね。
 麻央さんの死は、つらい闘病生活を明るく生き抜いた姿勢もすごいと思いますが、何より家族のことを思い続けたこと。家族という存在の大切さにあらためて気づかされたと思います。