1991年6月3日午後4時過ぎに発生した、
長崎県の
雲仙普賢岳の噴火に伴う大
火砕流。この大
火砕流では報道関係者など、43人がなくなる大惨事となりました。この日を『祈りの日』に定めている
島原市では、午前10時から追悼式が営まれました。献花台が設けられて、犠牲者の冥福を祈る姿も見られました。
普賢岳は1990年11月に、198年ぶりに噴火。翌年6月3日に大
火砕流が起き、
島原市上木場地区で警戒に当たっていた
消防団や警察官・報道関係者らが巻き込まれて亡くなりました。
現在、噴火は治まっていますが、山頂付近にできた溶岩ドーム(
平成新山)(およそ1億立方メートル)は崩落の危険性が指摘され、ドームから東側を中心としたおよそ950ヘクタールは
警戒区域に指定され、立ち入りが禁止されています。
私は噴火が収束した後、2度
島原市を訪れています。
島原市内にある道の駅では、
雲仙普賢岳の噴火を後世に伝えようと、噴火によって発生した土石流や、大
火砕流の恐ろしさを残す展示が行われています。水梨川沿いに流れ下った土石流では、民家の一階部分が大量の土砂に埋もれた状態で展示されているほか、大
火砕流が発生した時の生々しい記録映像を見ることもできます。
そして、噴火によって形成された溶岩ドームは島原の道の駅周辺や、
島原鉄道の車窓からも眺めることができます。大きな被害を出した大
火砕流から25年、当時のことを知らない人も増えてきて、被害の実態を後世にどうやって伝えていくかが、ここでも問われています。