sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

阪神・淡路大震災から19年

 明日1月17日は阪神・淡路大震災の発生から19年目の日です。1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路島地方を最大震度7マグニチュード7,3の地震が発生し、神戸や西宮や淡路島・宝塚などの阪神地方の街並みは、軒並み破壊されつくして、壊滅的な被害を受けました。最終的な死者は6434人という未曾有の大災害となりました。倒壊した建物から上がった火の手は、あっという間に街並みを飲み込み、焼き尽くしました。
 この災害の第一報は、私は朝6時のNHKのラジオのニュースで知ったんですが、会社についてからテレビの中継映像を見て、破壊の限りをつくされた神戸の街並みは、私の知っている神戸の街並みではありませんでした。この大災害に私の母も危うく巻き込まれるところでした。私の母は当時衣料品販売の店を開いていて、仕入れのため、夜行高速バスに乗って阪神高速を降りたところで、突如、激しい揺れに見舞われたといいます。初めは何があったのかさっぱり分らず、高速バスが生めだのバスターミナルに到着して、ようやく巨大地震が発生したことを知ったそうです。そして、その日は帰ろうにも高速バスも運休するということで、また新幹線も在来線も阪神地方を走る鉄道も高速もすべて寸断されて、帰りの手段がない中で、やっとのことで大阪駅近くに泊まるホテルを確保し、とりあえずその日の夜はホテルに泊まることができたということでした。
 一方私は、母が大阪に言っていて、阪神高速の東海現場に巻き込まれた可能性があるということを話して、上司に許可を得て帰宅させてもらい、そのご、母の無事が確認できたということでまずは一安心したところです。
 そして、母から夜になって帰宅できないということで連絡があり、明日の列車の時刻を調べてほしいということで、いろいろ調べた結果、大阪市営地下鉄と多さから南に向かう鉄道は動き始めたという情報が入ったので、大阪市営地下鉄南海電鉄と乗り継いで
和歌山港に出て、そこから高速船の徳島港行きが連絡しているので、徳島港に向かわせて、JR高徳線瀬戸大橋線経由で岡山まで出て、岡山から新幹線で帰るというルートを紹介して、まず、難波に出たら特急サザンの指定席・乗車券と高速船の乗船券をセットで買うこと、徳島駅に着いたら自宅までの駅の乗車券と在来線の特急券と新幹線の特急券をセットで買うことを注意して、家に帰ってきたのは夜8時過ぎでした。
 このほかにも、私には関西に親戚や友人がたくさんいるので、安否確認をしようにも連絡手段がなく、向うから電話をかけてくるのを待つしかない状況だったんですが、私たちの親戚や友人には被害はなかったようです。
 あの大震災から19年。今は地元でも震災を経験していない世代が増えてきて、震災の記憶の風化が叫ばれています。この大災害を以下に伝えていくか。それがこれからの大きな課題だと思います。
 私は震災の3ヵ月後の6月下旬に大阪にいく用事があって、在来線を乗り継いで行ったんですが、明石から西宮周辺にかけての大きく壊れた建物の風景などは今も忘れられません。
 
この大災害の被災地でひとつの大きな希望になったのが、神戸を東西に結ぶ鉄道の開通だったということを聞いたことがあります。きっと線路の向うには明るい未来が待っているという希望の意味もあったのではないかと思います。今は元のとおりに線路も復旧し、交通インフラも整備されて、見た感じは普通の生活に戻ったように見えますが、やはり震災を経験した人にとって明日は忘れえぬ日なのではないでしょうか。多くの人が家族や友達を失い、多くの人が心に大きな傷を負いました。でも、復興を遂げた阪神・淡路地方を見ていると、きっと東日本大震災の被災地も何時か必ず復興する。そう思う私です。明日は車の中で出勤する前に黙祷をささげてから出勤しようと思います。改めて阪神・淡路大震災で犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈りします。