sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

あの日から25年・明日は阪神・淡路大震災から25年

 1995年1月17日、午前5:46分に、淡路島北部を震源とする直下型の地震が発生し、災害関連死も含めて6434人の方が亡くなられるという、阪神・淡路大震災が起こりました。あの日から明日で25年。四半世紀の年月が流れたのかと思うと、あっという間だったような気がする私です。

 あの地震発生の日、私は朝起きてラジオのニュースで、「何かわからないけど、大変な事が起こっている」そう思った私です。ニュースを聞いていると、どうやら大きな地震があったみたいだということが分かり、さらに詳しく聞いてみると、神戸市などが壊滅的な被害を受けている。という情報が…。私が知る限りでは、関西を襲った、初めての都市型大規模地震でした。神戸からほど近いところに私の親戚や友人もたくさん住んでおり、どうなっているのかわからないまま仕事に向かった私です。さらにこの時、私の母が仕事で大阪に向かう夜行高速バスに乗っており、倒壊した阪神高速の巻き添えになった可能性があるということで、何も情報が入らない中、1秒という時間が物凄く長く感じられました。会社に着いても交通網がマヒしているため部品が入らないので、仕事が軒並みストップし、工場の中の清掃をしていたんですが、正直「今俺はこんなことをしてる場合じゃないんだけどな…」そう思ってました。休憩時間になって、母が乗った高速バスの運行会社に電話で連絡してみましたが、バスが大阪に到着したという連絡がまだないということで、気持ちばかりが焦ってました。昼休みになって、何か連絡があったかもしれないと思い、家に電話してみると、父が電話に出て「今さっき、無事に大阪についたっていう連絡があった」ということで、ほっと胸を撫で下ろしたのを昨日のことのように覚えています。

 でもここから大阪方面に電話をかけるのは通信制限のためできなくて、大阪の親戚や友人の安否が全くわからない状態でした。そして、次々テレビに写される大火災に見舞われた長田区や、倒壊した阪神高速など、悪夢としか言いようのない光景がテレビを通じて中継されていました。そして、倒壊した建物の下敷きや、地震発生直後に発生した大火災で亡くなった方や、長期にわたる避難生活で、ストレスや疲労が原因で亡くなった方も含めて6434人という未曽有の大災害となりました。あの地震は、直下型地震の怖さをまざまざと見せつけたような気がします。この発生時刻が、もしラッシュの時間帯と重なっていたら…。あの倒壊した阪神高速には何百台の車が通っていたでしょうし、多くの電車が脱線転覆してもっと大きな災害になっていたかもしれません。暖房で火を使う人も多く、もっと大規模な火災が発生していたかもしれません。いつどこで発生するか解らない地震。改めて地震に対する備えをすることの大切さを感じずにはいられない私です。