sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

東京大空襲の日

 今日3月10日は息子の誕生日であると同時に、東京が焼け野原と化した東京大空襲のあった日でもあります。爆弾を満載した多数のB29型爆撃機が東京上空を襲い、雨のように爆弾を降らせて10万人もの犠牲者を出した東京大空襲から68年という歳月が流れました。私は戦後生まれなので当時のことは映画や、生き残った人たちの話でしか知りませんが、広島・長崎の原爆投下・沖縄戦での地上戦とともに多くの人々が犠牲になった悲惨な経験として語り継がれています。今の東京スカイツリーの近くを流れる川には、熱さを避けようと多数の人々が押し寄せて、水を求めてなくなったそうです。この悲惨な出来事を後世に語り継ぐためにも国は何かしらのアクションを起こす必要があるのではないか。私はそう感じます。
 しかし、今の若い世代にはB29といわれて、それが何を意味するものなのかわからない人も多いそうです。「B29?濃い鉛筆のことか?」そう答える若者もいたとか。
 あたり一面が焦土化したあの大空襲は折からの強風によって被害が拡大したといいます。今、安部総理は国防軍の創設やアメリカの戦闘機に日本の企業が参加できるように武器輸出三原則を崩してまで行おうとしています。今必要なのは戦争に使われる可能性の高い戦闘機の製造に日本企業を参加させるのではなく、敗戦国・被爆国だからこそできる平和な世界の構築に向けた行動を起こすべきだと思いますが。
 
 そういえば、私の母方の祖母が生前徳山の空襲について話してくれたことがありました。旧徳山市には燃料工場などが集中しており、アメリカの爆撃機は日本の燃料供給機能を麻痺させるために徳山の製油所を狙って空襲したといわれています。このため、激しい火災が発生し、もうもうと黒煙が立ち上り、祖母の家からも西の方角にある徳山方面の空が真っ赤に燃えているのがはっきりと見えたそうです。本当に生きた心地がしなかったという言葉は、当時小学生だった私にはものすごく重みのある言葉でした。
 今日、息子にも過去に何が起こった日なのか、私が知っている限りのことを話して聞かせました。息子の世代も戦争を経験することのない国であってほしい。私はそう願っています。