昨日は広島に原爆が投下されてから76回目の平和祈念式典の日でした。一発の爆弾によって広島の街は破壊され尽くして、一瞬のうちに十数万人にも及ぶ尊い命を奪い、生き残った人にも重い後遺症を残して、今も苦しめ続けついます。年々被爆の実相を知り、当時の地獄絵図を語れる方もだんだん少なくなり、歴史を語り継ぐことが難しくなってきています。
私も17年前になくなった祖母から、戦争のときのことを話してもらったことがあります。この日は熊毛の実家から見て東の空に鋭い閃光が走るのが見えたそうです。その当時は原爆が投下されたことと走らされておらず、事実を知ったのは終戦を迎えてからだったそうです。
この他、熊毛の西にある徳山海軍工廠や、光の燃料工場がB29の爆撃を受けて、夜中でも夕焼けのように西の空が真っ赤に燃え上がるのが見えたことなどを話してくれました。
多くの命を奪った原爆の惨禍から76年。犠牲になった方たちや、被爆された方々が望むのは核兵器のない世界です。日本は世界で唯一の被爆国でありながら、核兵器禁止条約に批准していません。安全保障との整合性が取れないということを述べていますが、私には核の傘にいるために屁理屈を述べているに過ぎないように思います。日本が心の平和を願い、世界平和を希求する先頭に立つと言うのであれば、すぐにでも核兵器禁止条約を批准して、核兵器の排気を推し進めるよう、核保有国に粘り強く交渉を続けるべきです。それが核兵器による悲惨な経験をした日本が果たさなければならない責任だと私は思います。核抑止力がもたらす平和など、幻想にしか過ぎません。