sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

75回目の終戦の日

 昨日は75回目の終戦の日でした。満州事変に始まった太平洋戦争への歴史は、東京などの各地の大規模空襲や沖縄での激しい地上戦、そして広島・長崎への原爆投下という悲惨な結末とともに終わりを迎えました。

 この戦争を振り返ったとき、なぜ日本は軍国主義への道を突っ走り、東南アジアをはじめとした、多くの諸外国の人々を傷つけ、大勢の人々の命を奪うようなことをしたのか。その点を踏まえたうえで考えないといけないと思います。安倍総理は昨日の戦没者の慰霊式典の中で「尊い犠牲の上に今日の平和がもたらされた」と述べていますが、この日本が引き起こしてしまった侵略戦争ともいうべき太平洋戦争で多くの犠牲者を出したのは、日本人だけではなく、植民地化された多くの国々で大勢の方々がなくなられました。もしあの戦争がなかったら…。明治以降の富国強兵政策が取られてなかったら…。もっと日本は違う歴史をを歩んでいたのかもしれません。

 今私たちが真正面から受け止めなければならないのは、戦後75年の間にどれだけ多くの国や地域で、戦争や内戦が勃発したか…。戦争によってもたらされるのは憎しみと分断・対立だけです。韓国や中国との間には戦後75年を経た今でも歴史認識問題が度々表面化することがありますが、これは両国間で丁寧な対話によって乗り越えていかなければならないことではないかと思います。

 度々繰り返される戦争。人類は二度にわたる世界大戦の結果、何を学んだのでしょうか。戦後、核開発の進展などにより、平和を取り巻く環境は一層厳しさを増しています。そして今も世界各地で戦争が起こっています。あの戦争の惨禍を繰り返さないためにも、私たちに何ができるのか、何をしなければならないのか、それが今問われているような気がします。

 戦後75年を経て、戦争を知っている方々が高齢になり、そう遠くない将来、戦争を直接知る人がいなくなる日がやってくると思います。戦争の悲惨さを今度は私達や、さらに私よりも若い世代が語り継いでいかなければいけないと思う私です。

 私の母方の祖母は、生前私に自分が体験した戦争を話してくれたことがありました。徳山にあった燃料工廠が爆撃を受けて、夜になっても西の空が真っ赤に夕焼けのように染まっていたこと。山口県内有数の工業地帯である徳山を空襲するために、B29戦略爆撃機が轟音とともに編隊を組んで、祖母の住んでいた家の上空を低空で飛行していったときのこと。広島に原爆が投下された瞬間、広島市から離れた熊毛でも閃光が見えたことなど、生々しい証言を、当時小学生だった私に話してくれました。その祖母が他界して今年で17年。今もきっと、日本や世界が平和であってほしいと、天国で願っていると思います。