sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

虐めの事実をなぜ教育の現場は隠したがるのか

 今も昔も変わらず、深刻な問題となっているいじめ。私が虐めを経験したころと比べて、いろいろと対策法が施行されたり、司法機関の介入がしやすくなったり、いろいろと変わってきてはいますが、今のいじめも、私が小学生だったころ頃のいじめも、大きく変わっていないような感じがします。
 そして、変わっていないというと、教育現場の実態も…。私がいじめを受けていた時、恐らく学校の現場では職員会議の議題に上がっていたはずです。しかし、そのいじめが外部に通報されることはありませんでした。私がいじめ被害を訴えたら、「加害児童の未来・将来のことも考えなければいけない」ということで、私にいじめ被害を訴えることを黙殺するように無言のプレッシャーをかけてきましたし、実際にいじめをなくすための有効な手立てはうたれないまま、私は小学校を卒業し、今に至っています。
 加害児童の未来・将来を考えなければならないと言われて、正直私は強いショックを受けました。加害児童の将来を考えなければいけないのであれば、俺の苦しんだ思い・未来・将来はどうしてくれるんだ?心の中で何かが音を立てて崩れた瞬間でした。学校はいじめの被害者を守ってくれないんだ…。被害者の俺よりも、危害を加えた奴の人生の方が大事なんだ…。正直私はそう思いました。この思いは今も変わってないですね。
 そして、卒業文集に担任から書かれてあったことは、友とうまく行かずに悩んだ子…。「あんな奴、友でもなんでもねぇ」怒りに任せて、その卒業文集を叩きつけてやろうかと思いました。
 なぜ教育現場がいじめの事実を隠蔽するのか。それは、いじめという事実が発覚すると、昇進に大きく影響するからです。中には自分の昇進など考えずに、いじめと真正面から向き合う先生もいますが、大半はいじめがあったとしても黙殺するか、自分の手で解決しようとするかのどちらかでしょう。それは教育委員会についてもいえることで、いじめという事実が発覚すると、その教育委員会はいじめを解決できない能無しという烙印を貼られてしまいます。それを避けるために、学校の現場から上がってきた虐めの報告について、重大事案(自害児童・生徒が自殺・あるいは自殺未遂を起こすなど)が発生しない限り、認めようとはしない風潮があるように感じます。
 よくいじめ事件が発覚した後に、教育委員会が「何も知らなかった」などと言っている記者会見を耳にしますが、絶対に知らなかったなんて言う事はないはずです。また、知らなかったですませてはいけない問題です。そして、第三者委員会を設けて事実の解明に乗り出すということをよく耳にしますが、本来なら教育のトップである、学校の責任者である校長や教頭、教育委員会が行わなければならないことです。私は第三者委員会にいじめの調査について、丸投げしているようにしか見えないです。今の教育現場のいじめを解決するだけの自浄能力がない限り、残念ながら、これからもいじめによる自殺者はなくなることはないでしょう。私はいじめ被害を受けた当事者として、いじめは犯罪であり、絶対に許されるものではないということを発信し続けて行こうと思います。