sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

生きるということ

 先月、私は45回目の誕生日を迎えました。私も45歳になったんですが、私の従姉が乳がんで亡くなったのも45歳。同じ歳となって、改めて生きるということについて考えてみました。
 従姉には亡くなった当時、高校生二人と、中学生一人の三人の娘さんがいました。娘さんたちがいくらしっかりしているとはいえ、まだまだこれからの成長を見ることなく、あの世に旅立たなくてはならなかった従姉の無念さは、計り知れないものがあったのではなきと思います。いろいろしてあげたいこともたくさんあったと思います。この前、おっちゃんの葬儀告別式の時にあったときは、みんなそれぞれ成長して立派な社会人になっていましたが、従姉も自分の子供の成長した姿を見たかったのではないかと思います。
 私も過去に、これまでも何度か書いてきたように、激しいじめに苦しみ、自殺未遂まで起こしました。
 今はこうやって無事に毎日を生きていますが、いじめを受けていた当時は、未来のことよりも、一時間先のことさえも見通せなくて、いつ自分が自殺してもおかしくない状況下に精神的に追い詰められてました。
 幸いにして、私は家族や友人たちの助けにより、何とか命をつなぐことができましたが、あの時自らの命を絶ってしまっていたら、家族に大きな禍根を残したのではないかと思います。
 そのいじめの辛い記憶がなかなか癒えない中、ようやく幸せになれると思い、結婚したら、今度は元嫁が統一教会に狂い、家庭が崩壊。正直「何度俺だけがこんなに苦しまなくてはならないのか?俺が一体何をしたっていうのか?」心の底から、自分の運命というのが決まっているのであれば、その運命というのを恨む・憎んでやりたい。そう思ってました。
 そんなときに大阪から寄せられた、従姉の死。従姉は自分の子供の成長を見ることもできずにあの世に旅立っていって、それに比べたら私は、息子には障害がある・次男とは離れて暮らしているといっても、子供の成長を見守ってやることができます。従姉の死が、私に生きることの大切さと、その意味を教えてくれたような気がします。
 でも、この前のおっちゃんの葬儀に行ったときに、本当は4人きょうだいなのに、3人しかいないというのは、やはり寂しかったですね。私が大阪に住んでた頃は、4人と、私のきょうだいが集まってよく一緒に遊んだのを懐かしく思い出しています。従姉が私に教えてくれたこと。それは絶対に自分の命を粗末にするなってことです。今はおっちゃんと、従姉が親子で仲良く天国で暮らしているんだろうなぁ。きっと私たちのことを見守ってくれているんじゃないか。そう思って日々を暮らしています。