sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 次男と息子を連れて出かけた幼稚園の夏祭り。次男は久しぶりに幼稚園の友達と会えるので、楽しみにしていたみたいです。歩いて幼稚園に着くと、次男のクラスメイトの子供たちがやってきて「Y君久しぶり~」「元気にしてた~?」などお互いの近況を報告しあってました。次男は私の両親の家に泊まりに行ったことをみんなに話してました(次男たちが泊まりに行ってた間、私たちは韓国に行ってました)。クラスメイトの女の子が、まだ見たことのない息子を見て「この人だあれ?Y君のお兄ちゃん?」と聞くので、次男は「そう、僕のお兄ちゃん。ちょっと変わったことを言ったりするけど、僕の大好きなお兄ちゃんだよ」そういうようなことを話ししてました。
 子供たちの元気にはしゃぎまわる姿を見て、私は「せめてこの時間だけでも統一教会のことは忘れよう」そう思って、子供たちと夏祭りを楽しんだ私です。みんな浴衣や甚平をきて、夏祭りに参加していて、次男も甚平服を纏って参加しました。そしていよいよ夏まつりのクライマックスである盆踊りが始まりました。盆踊りでは毎年保護者が櫓に登って、太鼓をたたくんですが、幼稚園の先生から「今年太鼓をたたいていただける方はおられませんか?」という言葉に次男が反応して、「先生、僕のお父さんが太鼓をたたくって~」と言い出しました。幼稚園の先生が私のところに来られて、「Y君のお父さん、いかがですか?」と言われるので、「夏祭りの楽しい思い出の一つにちょっとやってみるか」と思い、「じゃあ、やらせていただきます」という返事をしました。私のほかにも何人か太鼓をたたく保護者の方がおられて、私が演奏するのはおなじみの炭坑節になりました。炭坑節のあのおなじみのリズムに合わせて力いっぱい太鼓をたたきました。櫓の下では次男がピースサインをしながら兄やほかの子供たちと一緒に踊っている姿が見られました。私が太鼓の演奏を終えて次男のところに戻ると、次男は「お父さん格好良かったよ~」と言ってくれました。
 そして盆踊りが終わって、最後にお楽しみ抽選会が。子供向けのおもちゃが当たる抽選会は人気で、次男はこのとき、確か水鉄砲をゲットしたのではなかったかと思います。
 そして幼稚園の夏祭りが終わって、帰る時は次男が先頭に立って兄が危ないことをしないように先導してくれました。次男が兄の手をもって危ないことがないように見守っている姿を見ながら「次男も随分とたくましくなったなぁ~」と感心したのを覚えています。
 そして、帰宅して次男たちが寝静まった後、元嫁が「なんで私だけのけ者にするのよ」と文句を言ってきました。まぁ、これは元嫁の性格からすると、私の頭の中では考えられたシナリオではありました。私は「お前、俺に嘘ついてたよな。私は何も知らないって俺に言ったよな。でも、この前のあいつらの話を聞いてたら、お前は知ってたってことになるよな。どういうことか俺の納得いくように説明しろ」そう問い詰めると、「だって、あの人たちが統一教会の人たちだって話したら、絶対あんたは合同祝福結婚式にはいかないって言いだすじゃん。私は祝福結婚式に参加して、少しでもみんなが幸せになれたらと思ってたんよ。あんたにも参加してほしかったから言わんかったんよ。」
 「ほぉ~。それで俺を騙して韓国に連れて行ったってわけか。あんなくだらんものに参加して幸せになれるとでも本気で思ったのか」
 「だって文先生の話をあんたも聞いたじゃろ。すごくまっとうなことを言ってたし、私は文先生の話を聞いてすごく感動したんよ」
 「だってもくそもあるか。あんな金とよくと女にまみれたくそエロじじいの話を聞いて感動しただと?馬鹿じゃねーのか。それとあいつらに渡した現金、いったいどこから用意したんだよ。まさか、消費者金融から借金したり、定期貯金で預けてた金に手を出したんじゃなかろうな?」
 「定期貯金を全部解約して支払った。あのお金で息子の障害が治るんじゃったらやすいものじゃない。私は息子の障害を何としてでも治してやりたいんよ。現に私がシエロに通うようになってから、息子も随分と成長したじゃん」
 「テメー俺があれだけの貯金を蓄えるのにどれだけ苦労して働いたと思ってんだよ。朝も昼も夜も関係なく仕事に行って、みんなよりも早く作業場に入って、みんなよりも遅くまで残って仕事をして、毎日俺がどれだけしんどい思いをしながら給料をもらってきてると思ってんだよ。今まであいつらに支払った金を全部お前が責任をもって取り返せ。絶対に俺はお前を許さん。それにな、あいつらはな、息子のことを本気で心配してんじゃねー。あいつらは息子の障害を金儲けの道具にとしてしか見てねーんだよ。それがわからんのか。あんなもんさっさとお前もやめてしまえ」
 このようなやり取りが続いて、非常にぎすぎすした状態で盆連休を迎えたのでした。