sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私のもらったバースデーカードと息子がもらった卒業文集の寄せ書き

 普段何気なく私たちが使っている言葉。言葉には色んな役割があります。自分の思いを伝える手段として・大事な情報を伝える手段として・自分の感情を相手に伝える手段としてなどなどあります。この中でも自分が相手に自分の思っていることを伝えるというのは重要な手段のひとつだといえるかもしれません。
 
 ここに言葉というものがどのような力を持つのか・相手に生きる希望や夢や勇気を与える道具として、あるいは反対に相手の心情を傷つけ、生きる価値や存在する価値を否定し、人を殺すための凶器にもなるんだといういい実例があります。
 
1984年2月17日。この日は私の12回目の誕生日でした。ただ、私はこのときの誕生日は今まで迎えた誕生日の中で一番最悪な誕生日だったと今でも思います。私の通っていた小学校では誕生日を迎えたクラスメイトにバースデーカードを書いて、贈る事になってました。これは児童の自主制作という形をとっていましたので、先生は中身はまったく感知しないので、児童の相手に対して思っていることがストレートに書かれていることが多かったんですが、私が受け取ったバースデーカードには私の好きな鉄道のイラストを書いてくれた児童・このとき私はすでに山口に引越しするということを伝えてあったので、「山口に行ってもがんばれよ」とか、「また大阪に帰ってこいよ」とか「今度山口に遊びに行くからな」とか励ましのメッセージを書いてくれている児童もいました。しかし3分の1ほどはどんな言葉が書かれていたかというと「お前なんか死ね」「山口にいったら二度と大阪に来るな」「お前その顔やめますか?それとも人間やめますか?」「殺してやる」「さっさと死ね」そう言った言葉が書き綴られてました。この死ねって言う言葉。相手の存在の一切を認めない。生きている価値を認めない。究極的には生存権を認めない。そういう意味で使われる言葉だと思います。それを言葉だけじゃなく、形として残るものにまで書いてよこすというのは、当時の私に大きな精神的なダメージをもたらしました。「俺ってやっぱり生きている価値なんかないのかな」そう自分で自分を追いつめてました。それでも何とか乗りきれたのは、後一ヵ月後に卒業を控えていて、卒業すればもうこいつらと顔を合わすこともなくなる。それだけが壊れそうな私の精神的な支えでした。
 死ねって言われて嬉しい気分になる人はいないと思います。何故自分がそんなことを言われなくてはならないのか?言った本人からすれば相手が深く傷ついていることなど考えたこともないんでしょうけど、本当に言葉って言うのは気をつけて使わないと相手を死に追いやることもあるということを身をもって経験しました。
 
一方で、息子が小学校を卒業するときにもらった卒業文集の寄せ書きには息子のことを大切に思ってくれたクラスメイトからの温かい言葉がたくさんかかれてました。「同じクラスになってくれてありがとう」「中学校に行ってもがんばれよ」「今までたくさんの思い出をありがとう」「これからも頑張って」等など。この言葉から息子はクラスのみんなに愛されていたんだなということがうかがい知れます。息子の作文はクラスメイトのみんなが代筆で書いてくれたものなんですが、それには「僕は☆☆小学校が大好きです。4年からずっと学校を休んでいません。そのくらい好きです。3年からは登校班で歩いてきています。○○さんたちが優しく連れて来てくれました。お父さん・お母さんもよく一緒に歩いてくれました。5年からは弟も一緒です。6年では班長旗をもってみんなの先頭を歩きました。
 5年では宿泊学習に行ったことが大切な思い出です。バイキングで山盛りいっぱい食べたり、広いお風呂でぷかぷか泳いだりしました。
 6年では修学旅行に行きました。宮島でお土産を買っているとよその学校に転校した△△君にあってびっくりしました。あげもみじや錦帯橋のソフトクリームがおいしかったです。教頭先生・担任の先生、またいっしょに修学旅行に行きましょう。本当に楽しかったです。
 また、□□先生と大好きな給食委員会をしました。○年○組さんどうぞという案内の仕事をしました。前項の牛乳箱の整理も得意です。たくさんの先生にほめてもらいました。
 校長室もよく遊びにいきました。ふわふわのソファーと校長先生が大好きです。
 6年間いろいろな先生にお世話になりました。思い出いっぱいです。最後にお父さん・お母さん・弟の○○君ありがとう。小学校の友達大好きです。いつまでも忘れないよ」(一部抜粋)と書かれてあります。私がつらい思いや苦しい思いをしたぶん、息子や次男には幸せな小学校生活を送ってほしい。そう願っていたんですが、息子は小学校でも、今通っている支援学校でも友達や先生に恵まれて、楽しく学校に通えています。息子の卒業文集からはクラスメイトのみんなの優しさが伝わってくる様な気がします。
 次男も自分の好きなサッカーを通して、大切な友達やチームメイトと仲良くやっているようですし、二人とも楽しい学校生活を送っているので、親である私としては、私が苦労したぶん、本当に大切にみんなからしてもらって嬉しい限りです。
 本当に人間が発する言葉にはいろいろな力があると思います。でも同じ力を与えるならば、人を傷つけ精神的に追いつめて死に追いやる力を与えるんじゃなくて、相手に生きる希望・夢・勇気を与えるような力を与えたい。この対照的な私のもらったバースデーカードと息子の卒業文集を見てそう思った私です。
 ※私がもらったバースデーカードはあまりにも残酷なことが書かれてあったので、見るのもつらいので、引越しのときに焼却処分してきました。