今から38年前の2月17日、私は大阪で迎える最後の誕生日を過ごしてました。当時私が通っていた小学校では、誕生日を迎えたクラスメイトにバースデーカードを書いて送るということをやっていて、この日は私が受け取る番でした。この当時私は激しいいじめを受けていて、運がよくて罵声・罵倒を浴びせかけられるだけだったんですが、ほとんどが激しい暴力と罵声・罵倒を伴ってました。
「どうせ俺のことなんか消えてほしい存在なんやから、ろくでもないこと書かれてるんやろうな」そう思ってました。私のことが気に食わないのであれば、何も書かなくていいから、白紙で出してほしい。それさえも嫌なんだったら受け取ったバースデーカードを破り捨ててくれたらいい・。そう思ってました。そして実際に受け取って、中身を空けてみると、今も付き合いのある友達は、私の大好きな電車のイラストを描いてくれたり、私の誕生星座であるみずがめ座の星座絵を書いてくれたり、山口へ行っても元気で暮らせなどの励ましのメッセージを書いてくれたりしてましたが、ほとんどが「お前、人間やめますか?それともその顔やめますか?」とか「6年4組の恥さらし」「お前なんか死ね」「山口に行ったら二度と帰ってくるな」「頼むから死んでくれへん?」などの私の存在そのものを否定する言葉がびっしりと書かれてました。私のことが気に食わないのであれば、何も書かずに出してくれたらそれでいいという私の、ほんのささやかな願いさえも打ち砕かれてしまいました。家に帰ると母から「誕生日カードもらったんやろ?みんななんて書いてあったん?」などといってきたので、私は「あんなこと書かれた誕生日カードなんか見せられる代物じゃない」そう思って、何も答えずに自分の部屋にずっとこもってました。誰からも祝ってもらえない誕生日…。俺は何のために生まれてきたのか?俺が何か恨まれるようなことしたのか?ずっと答えのない答えを求めて自問自答してました。そして誕生日が過ぎた翌日も学校に行っては殴られ、罵声をあびせかけられ、苦しみぬいて私の小学校生活は終わりました。