sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

あの日から12年。あの大災害を絶対に忘れません

2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災。東北地方の太平洋沖の日本海溝で発生したマグニチュード9.0の巨大地震が北海道から関東までの広い範囲で激しい揺れを引き起こし、さらには巨大津波が北海道から関東までの太平洋沿岸などを襲い、私たちの想像を絶するほどの甚大な被害が発生したほか、福島原発が巨大津波の直撃を受けて全ての電源を喪失し、核燃料棒が溶け落ちるメルトダウンか起きて水素爆発事故が発生して、いまだに核燃料棒がどのような状態になっているのか、わからない状態が続いています。

あの、この世のものとは思えない状況をテレビの画面越しに見て、私が若い時に訪れた街が変わり果てた姿に言葉も出なかったです。私は列車に揺られて旅をして、大きな被害が出た福島県相馬市や浪江町宮城県仙台市石巻市気仙沼市岩手県の大船渡市や釜石市宮古市久慈市などを訪れ、若い頃の記録として旅日記に書いたり、駅の観光記念スタンプを捺印したりしてたんですが、震災前の旅の記憶と現実にニュース映像で流される街の様子があまりにも違いすぎて、どこか、映画でも見ているような、そんな感じがしたのを今でもはっきり覚えています。

 

翻って震災が起きた時、私は車の製造現場で仕事をしていて、このような巨大災害が発生しているとは、全く気が付かなかったです。私がこの巨大災害が起きたことを知ったのは、仕事が終わって帰る時、上司から津波注意報が出てると言うことを知らされて、さらに広い範囲に大津波警報津波警報が発令されていることを知らされた時でした。後にほんの50センチほどの津波でも人や車を容易に押し流す強い威力があることを知り、海の間近にある会社の立地を考えると、津波注意報が発令された時点で工場の全ての生産ラインを停めて、従業員を速やかに避難させなかった会社に対しては、強い疑問と自然災害に対する無警戒と考えの甘さに、会社の上層部の奴らは従業員の安全を軽視してる。そう感じました。地震の揺れは大したことがなくても、津波注意報などが発令されたらすぐに会社で仕事中であっても、すぐに高いところに逃げること、災害発生地に親兄弟や親戚、友人などがいる人もいるので、遠地で巨大災害が起きた時はすぐに仕事を中断して全ての従業員を帰らせること、仕事中に巨大災害が起きた時はすべての電源が喪失するという最悪の事態も考慮して、日頃からどう安全を確保するかを考えておかなければならないと思います。いつかは必ずやってくる巨大地震。この厳しいサバイバルを確実に生き残るために、今からできることをしないといけない。そして犠牲になられた方、被害に遭われた方の教訓を忘れることなく、今を生きている私たちがのちの世代に語り伝えていくことが大事だと思う私です。