sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 次男の幼稚園の卒園式が終わって、息子も小学校の3学期の終業式が終わると、子供たちは春休みに突入。今度は次男の小学校の入学が控えており、入学準備に忙しい日々を送っていたところ、母から緊急連絡が入りました。母の姉である、私から見れば叔母に当たる人が胆のう癌を患っており、もう先長くないということでした。直感的に「このことは元嫁に知られたらまずい」と思った私は、元嫁にはこのことは一切話をしませんでした。統一教会との関係を断ち切っていないとみていた私は、元嫁に付け入るスキを与えるきっかけになると思ったのです。統一教会の奴らは、前にも何度か書きましたが「ケチケチして金をため込むと癌になる。癌になりたくなかったら献金しなければならない。癌という字はやまいだれに品の山と書くが、それはお金や物をため込むと癌になるという先人たちの言い伝えが元になっている」などと信者に吹き込ませて金品を奪い去ることを平気でやっている奴等だったので、元嫁にこのことを知られると、後々厄介なことになると思ったので、元嫁には「俺のおばさんの体調が思わしくないみたい。心臓が悪いって言ってた」などとうそをついて、子供たちと私の両親や姉夫婦と熊毛の実家に行く用事があったので、その帰りにみんなで見舞いに行くことになりました。
 病室で見たおばは、癌のためにやせ細って、見ただけで「こりゃー、本当にもう長くはないだろうな」とわかるほどでした。病室にいた叔父とも話をして、詳しい病状を聞いて、叔父も「もう何時別れが来てもいいように、覚悟はできてる。辛いけど今の現実を受け入れるしかない」と話していました。叔父と叔母は仲睦まじく、二人の子供を立派に育て上げ、4人の孫と1人のひ孫に恵まれて、それはもう、孫のことも、ひ孫のこともかわいがってました。私も小さい頃よく泊りがけで遊びに行って、お世話になって、楽しい思い出をたくさん作ってくれました。その叔母との別れの日が、そう遠くない将来、やってくると思うと、切なくなりました。
 そして、叔母のお見舞いを済ませて、車を走らせていると私の携帯に着信が。駐車スペースに車を停めて、かけてきた相手に電話をすると、それは高校時代からの友人からでした。元嫁が、元嫁以外の女性と私が話をするのを見て、私が不貞行為を働いていると、そう信じ込んでいたので、私はあらぬ疑いをかけられて、おまけに私が友人とどこかに出かけると、「子供を押し付けやがって。テメーだけ好きなことをやりやがって」などと罵声・罵倒を浴びせてくるので、そういったトラブルを避けるために、学生時代の友人との連絡も取ってなかったんですが、私が年末に出した年賀状に、私の携帯番号とメールアドレスを書いて出したので、私がどうしているのか、心配してかけてきてくれたのでした。
「リンダ君、全然電話もしてこんけどどうしてるん?元気にやっちょるんかね?全然電話もないし、会ってないから心配して電話かけたんじゃけど、今電話大丈夫なん?」というので、私は「心配かけてごめん。元嫁に友達との連絡を取り合うのを一切禁止されてたから。元嫁が統一教会に狂って、生活も何もかも滅茶苦茶にされたから。本当に心配かけてごめん。」
などと話すと「今度、また遊びにおいでよ。奥さんが何言ったっていいじゃん。リンダ君にはリンダ君の付き合いがあるんじゃから。リンダ君も大変な目に遭ってたんじゃね」と言ってくれて、内心、自分のことを心配してくれる友達がいてくれる。それだけで随分と心が軽くなったのを覚えています。そして、このことがきっかけで、それまで途絶えていた・閉ざされてしまっていた学生時代の友達との交流が復活したのでした。