sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録統一教会編

 大家さんが車を買い替えたことに対する妬みで、下げなくてもいい頭を下げて平謝りに謝った私。思い返せば、元嫁が引き起こしたトラブルで、どれだけ下げなくてもいい頭を下げてきたか…。元嫁との結婚生活は私の謝罪の歴史でもあったような気がします。
 そんな2005年11月8日からの連絡帳への書き込みです。元嫁と私が書き込みをしています。
 11月8日は元嫁が書いています。
 11月8日
 もうしばらくスモッグを着せてください。よろしくお願いいたします。 
 親子ふれあいデーの後日、インフルエンザの予防接種を考えています。
 子育てはなかなか子供の思うように、親が思うようにいかず、後姿を見られているだけに育てるという責任、育ててもらう親、なかなか大変です。

と書いています。今見返してみると、随分と殊勝なことを書いていますが、子供に後姿を見られても恥ずかしくないように元嫁が、親としての責任を果たしていたようには思えません。何しろ元嫁にとって、生活の中心は統一教会であって、私や子供のことを大切にするという考えはなかったですから。特に息子には、「死ね」「殺すぞ」「出ていけ」「お前なんか産まなければよかった」「頼むから私の前から消えてくれ」などの暴言を浴びせかけていましたし、身体的暴力も振るっていましたし、心理的虐待や育児放棄などの虐待を繰り返していましたし、私に対しても「テメーはさっさと死ね」『テメーは金だけ稼いで来ればそれでいいんだよ」「テメーが死ねば、保険金で楽に暮らせるから本当にお願いじゃからさっさと死んでくれんか」などの暴言を浴びせられてきましたが、子供のためと思って、何とか、この時点では離婚を思いとどまっていましたが、その我慢も限界に近付きつつありました。

そして11月9日の書き込みですが
 11月9日
 家ではなかなか自分の着替えをしてくれず、「~~して」「~~やって」が多いです。幼稚園ではどんなでしょうか?
 このことから次男は、元嫁に対して、母親としての愛情を必死で求めていたんだろうと思います。それが甘えという形で言葉に表れていたんだろうと思います。

 先生からの返事ですが、 
 11月9日
 最初は「できません」といいますが、励ますと、ゆっくりですが自分で着脱しています。自分の身の回りのことが少しずつできるようになってきました。
 と書かれてあります。次男は自分でできることは自分でやってましたが、母親に甘えた買いがために、わざと親の木を引こうとしていたんだろうと思います。私が家にいるときは私が手伝ってやってましたが、私の愛情ではなく、母親である元嫁の愛情を強く求めていたんだろうと思います。

 そしてこのあと、幼稚園では親子ふれあいデーが開催されました。
 このときの話は次男から聞いて、どんなことをしたのかだいたい把握することができました。そして、11月13日の書き込みは私が書いています。
 11月13日
 親子ふれあいデー、次男も楽しかったようで、家でも話をしてくれました。
 日曜日に元嫁の友達が仕事をしている小郡幼稚園の友愛セールに誘われていたので、みんなで行ってきました。元ぴょめはバザーの買い物・私たち3人はトン汁を食べたり、汁粉を食べたり、園庭の遊具で遊んだりしました。
 昼からは、会社でフェスタがあり、子供たちに人気の「NARUTOショー」や吹奏楽の演奏・エアロビの体操・不思議なマジックショー・もち巻きなど、イベントがたくさんあり、特にマジックショーは「なんでそうなるの>?」という顔をしていました。

子供たちも喜ぶイベントがたくさんあった休みを過ごしたみたいですね。私は子供と接するときに、何をしてやったら喜ぶかを第一に子供と接していましたが、こういうイベントは、子供たちが本当に喜んでました。子供が喜ぶ顔を見ると、今自分が抱えている問題も少しは軽くなるような、そんな気がしていた私です。ただ、このころになると私の体調は急激に悪化しており、特に不眠症は深刻の度合いを増していった頃です。