sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録結婚生活編

 今日は2003年9月23日の書き込みです。私が連絡帳に書いています。
 息子と弟は、昨日の夜から父の実家のほうへ泊まりに出かけてきました。本人は従兄の子供たちと一緒に風呂に入って、散髪をしてもらったり、一緒の布団で寝たり、楽しかったようです。その後元嫁の実家の墓参りを済ませて、おばちゃんと秋吉台のほうに行って、弁当を食べて帰ってきました。父は仕事の都合で行くことができず、残念だったんですが、子ども達は楽しんだようです。今度は私もいけたらいいなと思います。

先生からの返事ですが
9月24日 
 『牛乳のおかわりください』とコップを手に言い『パンのおかわり』『ないよ』と答えると『嫌だー』というので、『今度の水曜日ね』というと『はい』とすんなり答えて、納得してくれました。食欲いっぱいの息子さんでした。

とあります。確か、幼稚園では水曜日がパン給食だったのではなかったかと思います。たぶん息子の好きなパンが出たんでしょうね。それで『おかわり~』といったんだと思います。それでも、百戦錬磨のベテラン先生。息子が納得するように、上手く受け答えをしていただいたようです。

おばと秋吉台に行ったと書いてありますが、このおばもかなりくせの強い人物で、またいずれ書き込みしようと思いますが、元嫁が宗教に狂って、離婚問題にまで発展した時に元嫁が、おばや集まった元嫁の親族に対して謝るけれど、私に対して謝らない事に対しては何の注意もするわけでもなく、言って聞かせるわけでもなく,自分達に謝ってもらえればそれでいいという考えの持ち主でした。普通一番迷惑をかけた自分の主人である、私に対して誤るように言うのが普通だろうと思うのですが・・・。それに美東町の実家に帰るときでも、車がないからと言う理由で、私達をこき使っておいて、何のお礼もなし。ガソリン代を出すわけでもなし。足がないというのは嘘で、小野田から山陽本線に乗って新山口まで出れば、秋吉台や東萩行きのバスに乗れば、美東町の実家のすぐ近くまで行くことができるんです。こちらも二人の子供を抱えて、決して暇こいてるわけじゃないんです。おばはそんなことなど考えもしない人物でした。
 こういう親族に囲まれて育ったんだから、元嫁も非常識な人間に育ったんだなぁと思った瞬間でした