sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

パキスタンのマララ・ユスフザイさんにサハロフ賞

 パキスタンで女子教育jの重要性と権利を訴えて、武装勢力タリバンに頭を銃撃されて重傷を負った女子学生、マララユスフザイさんに、フランス・ストラスブールにある欧州連合欧州議会で、人権や表現の自由を守る活動を讃えるサハロフ賞を受賞しました。ノーベル平和賞は逃しましたが、賞賛の声はやまないですね。欧州議会はマララさんが暴力に屈せず「すべての子供が教育を受ける権利のために闘った」ことを評価した結果だそうです。
 マララさんは演説で、世界で5700万人の子供が教育の機会を奪われている事実を挙げて、「国の強さを決めるのは兵士や武器の数ではなく、識字率や教育を受けた人々の多さだ。考え方を変えよう」と指摘し、「学校にけない子供たちはほしいのはアイフォーンでもチョコレートでもない。1冊の本と1本のペンだ」と話し、支援を呼びかけたそうです。
 マララさんはパキスタン北部、シャングラ地区で1997年に生まれ、伯父にあたるサイード・ラマザンさんは「小さかったあの子が世界的人物になるとは」と話しているようです。マララさん一家は祖父の代から教員一家で、父のジアウディンさんはマララさんが幼い頃、車で4時間のスワート渓谷ミンゴラニ移住し、財産をつぎ込み、私立学校を設立。親たちが学校や教育の話をし、家に本が溢れる環境で、マララさんは育ったそうです。
 たまに村に帰ると近所の子供たちに本を読むことの大切さを諭していたということだそうです。「教育の伝道師みたいだった」とラマザンさんは言います。
 英語への情熱は父の勧めだったそうです。親戚の子供たちを聴衆に、英語でスピーチを練習し、からかわれてもお構い無に熱弁をふるったそうです。長老らが話す席で、自分の意見を言って驚かせたこともあったそうです。厳格なパシュトゥン人社会では異例なことだそうです。「はっきりとものをいう勇気が私は気に入った」ラマザンさんはこう振り返っています。
 2007年生活は暗転し、反政府武装勢力タリバンがスワート渓谷一帯を支配下に置き、標的としたのが女子教育だったそうです。
 BBC記者だったアブドル・ハイ・カカールさんはタリバン支配下の生活を日記に書いてくれている少女を探していたそうで、頼ったのがジアウディンさんだったそうです。マララさんがパキスタン公用語ウルドゥー語で書いた日記を毎晩、カカールさんが電話で聞き取り、BBCウルドゥー語のブログに掲載したそうです。「グルマカイ」というペンネームを使っていたようですね。09年1月のブログ開始直後から大きな反響を呼んだそうです。ブログの終わりに近づいた同年2月、マララさんは言い放ったのが「私はグルマカイではありません。マララ・ユスフザイ。他の誰でもない」と。マララさんは少女たちの教育の権利を訴え続けました。
 タリバン支配下に置かれ、伯父は故郷の村に逃れるように勧めましたが父ジアウディンさんは断ったそうです。「子供たちの教育を中断できない。マララも先に進む」と。
 しかし、懸念は現実のものとなってしまいます。12年10月タリバンの銃弾がマララさんの頭を貫通。意識不明の重態になりました。
 イギリスに搬送されたマララさんは奇跡的に回復。今年7月には国連で演説し、世界の共感を呼びました。女子教育を支援する「マララ基金」が設立され、ハリウッド女優アンジェリーナ・ジョリーさんらも協力し、スワート渓谷の少女40人への援助が決まったそうです。
 
 反政府武装勢力タリバンの銃撃にも負けずに、自分の信念を曲げずに貫き、女性の教育を受ける権利を訴えるマララさん。この行動力はきっとすべての女子に広く教育というものを受けられるようにして、世界平和に貢献したいという思いからではないでしょうか。世の中には学校に行きたくても通うことができない子供たちがたくさんいます。日本では考えられないような、少年兵として、戦争の真っ只中にいる子供たちもたくさんいます。これはすべて大人である私たちが作り出した社会がもたらしたものです。子供たちは自ら望んで貧しい農村に生まれてきたわけでもないし、自ら望んで少年兵になったわけでもありません。今、世界中の富裕層や、生活に困っていない人が1%でも、自らの財産をこれらの子供たちの下に手渡すことができたら、多くの子供たちが学校に通えて、教育を受けることができて、次の世代を担っていくことができるのではないでしょうか。私もマララさんのように強い信念を持って生きて行きたい。今日の新聞記事を読んでそう思った私です。