sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録結婚生活編

 結婚して最初の正月連休を迎えようとしていた私たち。1997年は結婚してから小さないさかいはありましたが、割と平穏なうちに過ぎていきました。そして、正月連休に入って、まず、元嫁登美子の美東町の実家に帰って、1人で暮らしている90すぎの爺さん身の世話と家の年末の大掃除小野田市港町に住むおばの縄田さんと一緒に出かけて、生活の中で出たごみを外に出して片付けたり、必要なものを買出しに出かけたりして正月を迎える準備を済ませて、アパートに帰ってきました。そして、今度はアパートの大掃除を済ませてそれが済んだら二人で私の実家に行って挨拶を済ませて、大晦日に名古屋で仕事をしている登美子の弟の義明が帰省するというので、美東町の実家に来るように言って、新幹線の停車する当時の小郡(現在の新山口)まで迎えに行って、美東町の実家で爺さんも含めた4人で年末年始を迎えることになりました。大晦日の夕食は出前を頼んで、みんなで食べて、爺さんは早々に布団の中に入って眠りについて、私たちは紅白歌合戦を見ながらすごしてました。その時に気になったのが弟の姉に対する言葉使いでした。姉である登美子に対して「お前」ということを口にしていたので、私が「姉に対してお前という口の聞き方はどういうことか?いくつになっても姉は姉なんじゃから、きちんと姉として敬え」とかなりきつい口調で言い聞かせた記憶があるんですが、私の姉だったら、私がお前という呼び方をしようもんなら、取っ組み合いのけんかになっていると思います。それにきょうだいであっても、きちんと敬うべきところは敬うべきと思っていたので、弟の口の利き方は私としては許せるべき口の利き方ではなかったのだと思います。弟も私の話をおとなしく聞いていました。姉である登美子も姉としてのプライドはないんかと思えるような感じでした。登美子にも「弟にお前呼ばわりされて悔しくないんか。もうすぐ母親になるんやぞ。そんなこといわれて母親が務まるんか」そういって二人に姉という立場・弟という立場をわきまえるように話をしてからは、そういった乱暴な言葉使いも少しずつではありますがなくなっていきました。最後に私の怒りの鉄拳が双方に落ちて1997年の大晦日は過ぎていったのでした。