sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私の人生回顧録離婚調停編

 元嫁が行方をくらまして、警察に捜索願を出して、ようやく居場所が分かった12月27日。次男を道連れに無理心中を図ったのではないかとか、いろいろと悪い予感が頭の中をかけめぐりました。次男が無事だったことでようやくホッとできた私たち。両親も「無事に見つかってよかった」と安堵の表情を浮かべていました。
 そして、熊毛の実家から熊毛の両親がやってきて、私と母、熊毛の両親と一緒に私が住んでいた借家に朝早く向かいました。私たちが到着すると、家はもぬけの殻。誰一人家の中にはいませんでした。元嫁が帰ってくるのを待ちましたが、いくら待っても帰ってこないので、仕切り直しで翌日、再度借家を訪れると元嫁だけがいました。そして私たちが「次男はどこに行ったのか?」「なぜ住民票の異動禁止措置を取ったのか?」「誰の指示でこんなことをやっているのか?」などを聞き出そうとしても何一つ答えないまま。そして、胸が苦しそうな素振りを見せて、いかにも自分は重症な狭心症を患っているかを”演じて”ました。いかにもわざとらしい演技だったので、「そんなに苦しいのなら、病院に行こう」と無理やり元嫁を車に乗せて、病院に向かいました。病院に向かう車の中でも「ゼーハーゼーハー」と息苦しそうなそぶりを見せていましたが、病院で診察してもらった結果は、軽度の狭心症で入院治療の必要はなしということでした。警察署の方で聞いた”重度の狭心症”とは全くかけ離れた診断結果に一同あきれ果てていました。そして私は元嫁が診察を受けている間に、元嫁の携帯電話を取り出し、実重の家に電話を掛けました。実重は元嫁からの電話だと思って電話に出ましたが、電話を掛けたのは私。私は「そちらに家の次男が行ってると思うんですが、次男を出してもらえませんか」というと、実重は「さ、さぁ、私の家には来ておりませんけど…」と明らかにしどろもどろになった受け答えをしていました。私は実重のとぼけた対応にブチ切れて「もうねぇ、すべてわかってるんですよ。あんたらがうちの次男をかくまっているっていうことも、子供たちの住民票の異動禁止措置を取るように、智子に指示したのも。あんたら、何の権利が合って他人の家のことに首を突っ込むんか?いい加減にせぇや」そういうと観念したように「わかりました。今からお子さんを連れて小学校の正門に向かいます」と言い出すので「何ならあんたらを誘拐未遂の現行犯で告訴してやろうか」そういうと「本当にすいませんでした。二度とこのような真似を致しません」と言ってました。私は「当り前じゃ」そう言って電話を切りました。
 元嫁の診察が終わって診察料を支払って病院を後にして、小学校の校門に向かった私たち。そこには実重に連れらた次男がいました。私は次男の姿を見るなり、ぎゅっと抱きしめてあげました。この当時の私の心境は「とにかく無事でいてくれてよかった」その一言に尽きます。そして、私の両親は元嫁や実重たちに対して、思いっきり怒りを爆発させてました。「うちの孫をこんなことに巻き込んで、どれだけ心配したと思ってるのか」「あんたと子の子供にも同じことをしてやろうか」「他人の家のことに首を突っ込むな」など、学校という公衆の前であるということも忘れたかのように、怒りをぶつけてました。
 そして次男に「これからどうする?冬休みの間、ばあちゃんちに来るかね?」と聞くと、「お母さんを一人にしたら、かわいそうじゃけぇ、僕家におる」そう言って、次男を借家に送って家に帰った私たち。
 実重のやったことは警察に相談すると、親の了解も得ずに子供を預かったということで、誘拐未遂に当たるということでした。私は刑事告発も考えましたが、そんなことよりも、家庭裁判所で始まる離婚調停の戦術を考える方が先決だということで、刑事告発はやめておくことにしました。そして、帰ってから法務部に勤める姉のご主人にも手伝ってもらって、元嫁が今までしてきたことなどを中心に文書を作成し、離婚調停裁判に臨むことになったのでした。