1995年3月20日午前八時ごろ、通勤・通学客で込み合う地下鉄の車内でまかれたサリン。多数の死傷者を出す大惨事となったこのテロ事件、後の捜査でオウム真理教の教団施設がある、山梨県の上九一色村のサティアンと呼ばれる建物の中で、サリンが精製されて、地下鉄日比谷線などで実行犯がビニールに入ったサリンを傘で突き刺して、駅到着とともに逃走したという事件は、日本中を震撼させました。そして、それまで日本が経験したことのない無差別テロ事件の対応に追われて、混乱する中、懸命の救助活動が行われて生き延びることができた人も多いのではないかと思います。
この事件では麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚が、犯行を指示し、新見智光死刑囚などがサリンをまいて、事件を起こしたわけですが、他の実行犯である林死刑囚や井上死刑囚などが犯行を自供してはいますが、麻原は未だに事件について何も語ろうとはしません。なぜこのような凶行な犯行を起こしたのか、一切話さないまま20年と言う歳月が流れました。被害者の中には未だに後遺症に苦しむ人もたくさんいますし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した人もいます。たくさんの人の人生をメチャクチャにしておきながら、犯行を指示した麻原が何も事件について話さないというのは、あまりにも理不尽な気がします。今後教団関係者の裁判がすべて終わると、死刑が執行されると思いますが、麻原には被害者と同じサリンをすって死んでもらいたいです。