大垣で、ムーライトながらに乗る前に駅近くのコンビニで明日の朝の朝食用のおにぎりやパンなどを買い込んでムーンライトながらの入線を待っていると、駅のアナウンスがなにやらムーンライトながらの入線時刻と発車時刻が遅れるという案内が流れてました。列車は15分ほど遅れて入線し、乗客を乗せるとすばやく大垣駅を後にして夜の東海道本線を走り始めました。なかなか昼間に中京地区の東海道本線を走ることがないので、一度ゆっくりとこの地区も訪れてみたいなと思うのですが、なかなか実現できずにいます。車内では、息子と次男が一緒の列に並んで座り、私は通路を挟んで反対側の席に座ったんですが、次男は朝早くから出発したということもあって、すぐに眠りに落ちて行ったようです。一方の息子は大好きな列車に乗っているという興奮もあって、なかなか眠れなかったようです。私は岐阜を過ぎて木曽川を渡ったところあたりまでは覚えているんですが、そのあとは眠ったようです。目が覚めると横浜に着いたところでした。大体この列車に乗ると横浜あたりで目が覚めるんですが、今回も夜の明けた横浜から複雑に入り組んだ線路を眺めながらしばらく走ると品川到着のアナウンスが入り始めたので、二人を起こして各自に持つが全部揃っているか確認させて、下車の準備。そして品川を発車したあと、ドアのところまで行って、東京に到着すると同時に、京浜東北・山手線上野方面行きに乗って、上野5:46分発の宇都宮行きに乗車。E231系電車15両編成でした。関西圏なら大阪の都心でも転換式クロスシート車が頻繁に行きかっていますが、首都圏では転換式クロスシート車の導入は難しいのでしょうね。なんか、首都圏の電車はどれもできるだけ乗客を詰め込もうというような感じがします。私の乗った列車もロングシート車だったので、少々味気なさを感じながらの旅となりましたが、この列車に乗らないとあとの予定が狂ってしまうので、ロングシートに腰掛けながら、少し早めの朝食。ロングシート車で食べる朝食というのも旅情という点では味気なさを感じますね。
さて、朝の関東平野を北上して、宇都宮についたのが7:29分。こんなに乗ってたのかと言うくらいの乗客がどっと降りて、半分くらいが接続の黒磯行きに乗り換えたでしょうか。5両編成の黒磯行きは通勤ラッシュ並の混雑で発車して、外の景色をゆっくり見ることもできない状態で、黒磯に8:28分到着。8:37分発の郡山行きに乗り換えていよいよ東北地方に足を踏み入れました。東北本線に乗って東北地方を訪れたのはずいぶんと久しぶりです。ただ、この列車もかなりの混雑で、私たちは何とか座席を確保したものの、あまり外をゆっくりと眺めるというわけには行きませんでした。ただ、黒川鉄橋を渡るところはばっちり見ることができました。ただ、カメラをセットするのを忘れていたので、写真に写し損ねましたが。やがて新幹線の高架橋が併走するようになると郡山。ここは磐越東線・磐越西線・水郡線が接続する交通の要衝で、ここで乗客が分散したのでしょうか、10:09分発の福島行きは思ったより空いていました。この付近から安達太良山が見えてくるはずなんですが、雲がかかっていて山容を見ることはできませんでした。トンネルをいくつか潜り抜けて福島盆地に向かって次第に高度を下げていって、松川に到着。ここは戦後まもなく発生した松川事件のあったところです。この事件は何者かによって線路と枕木を固定する犬釘が抜かれて、線路も剥ぎ取られて、通りかかった列車が脱線転覆して多数の死傷者が出たというものです。この事件の真相は今も分っておらず、謎の事件として残っています。その松川を後にして福島に10:55分に到着。ここで、奥羽本線の米沢行きまで2時間近く時間があるので、駅の観光案内所に行って、」福島駅近辺の見所を聞くと、福島ふれあい歴史館を紹介してもらいました。ここは駅からも歩いていける距離なので、行ってみることにしました。
東北本線の矢吹→鏡石間で写した風景です。ここも山口も変わらない風景が続いていますが、やはり福島原発がここにも暗い影を落としています。福島原発の問題が一日も早く収束することを願っています。
郡山駅の駅名標です。奈良県にも同じ名前の駅がありますが、同じ読みの駅が存在する場合、国鉄→JRでは旧国名をどちらかにかぶせることが多いのですが、郡山はどちらも旧国名をかぶせていません。