sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

平成のスポーツシーンを振り返る

 いよいよ令和の時代が間近に迫ってきて、平成の時代も終わりを告げようとしていますが、新聞やテレビなどでは平成を振り返る特集が組まれていますよね。そこで私も平成の時代を彩った、印象に残ったスポーツシーンを振り返ってみようかなぁと思います。
 まずはオリンピックで印象に残ったシーンをいくつかピックアップしたいと思います。まずはバルセロナ大会の競泳女子で、日本人選手史上最年少で金メダルを獲得した岩崎恭子さんの平泳ぎ。全くのノーマークで決勝まで勝ち上がり、決勝でも当時の世界の強豪に臆することなくレースを挑み、最後に逆転しての金メダルでした。決勝戦を終えた後のインタビューで「今まで生きてきた中で一番幸せ」という名言を残しましたよね。
 それから4年後のアトランタ大会では、有森裕子さんのマラソンが印象に残ってます。2大会連続でオリンピックに出場するだけでもすごい事ですが、過酷な真夏のマラソンで、バルセロナ大会の銀メダルに続く、銅メダルを獲得。レースを終えて「初めて自分で自分を褒めたいと思います」という言葉を残しました。
 そして、その2年後に行われた冬の長野大会。やはり一番印象に残ったシーンと言えば、男子ジャンプ団体の金メダルでしょうか。前回のリレハンメル大会ではほぼ優勝間違いなしと思われた中での銀メダルで、中でも原田選手はその責任を一番背負っていただけに、4年越しのリベンジが果たせてよかったという思いがします。最後にとんだ船木選手が言ってました「前回大会の原田選手の気持ちがよく分かった」と。
 2000年シドニー大会ではQちゃんこと、高橋尚子さんのマラソンが印象的でしたね。リディア・シモン選手との一騎打ちは見ごたえがありました。サングラスを外した後、一気にスパートをかけてシモン選手を振り切り、日本人女子選手として陸上競技で初めての金メダル獲得となりました。それともう一つ印象に残ったのが、ヤワラちゃんこと、田村(現姓谷)亮子選手が出場した柔道女子48キロ級でしょうか。バルセロナアトランタと2大会連続で決勝戦で敗れて、無念の銀メダルに終わっていただけに、「最高で金、最低でも金」という言葉を発しながらつかんだ金メダルでした。あの時は生放送でテレビ中継を見てましたが、息詰まる攻防に手に汗握りながら応援してました。決勝戦で勝った時の嬉しそうな表情は今でも覚えてますね。
 その4年後に行われたアテネ大会ではやはり体操男子団体の金メダルが一番印象に残りました。最終種目の鉄棒で実況アナウンサーの「伸身の新月面が描く放物線は栄光への架け橋だ」という有名な実況は今でもはっきりと覚えています。かつては日本のお家芸とも言われた体操ですが、モントリオール大会以来長く不振が続き、団体での金メダル獲得ができなかったんですが、ここに体操団体復活を印象付ける決勝でしたね。
 そして2006年の冬の大会はイタリアのトリノで行われました。トリノオリンピックでの印象的な出来事と言えば、やはり荒川静香さんの金メダルでしょう。あの優雅で繊細な演技は観ている側を魅了しましたよね…。イナバウアーは荒川さんの演技に組み込んだことで広く知れ渡るようになりました。トリノ大会では日本は荒川さんの金メダル一つに終わりましたが、あの演技は本当に素晴らしかったです。
 さらに2008年に行われた北京大会では、北京大会を最後にオリンピックの正式種目から外された女子ソフトボールの金メダルが印象に残ってます。エースの上野由紀子選手が力投し、決勝戦では最大の難敵であるアメリカ相手に息詰まる投手戦を演じ、最後はアメリカチームを完封しての優勝でした。上野投手の投げた球数は417球。エースの力投にチームメイトも懸命に答えていましたよね。東京大会では上野投手も恐らく代表に選ばれると思いますが、ぜひとも優勝を果たしてもらいたいです。それと北京大会でもう一つ印象に残ったのが競泳の北島康介さん。アテネ大会では2冠を達成して、北京大会でも2冠を達成して、「チョー気持ちいい」という言葉を残しました。あの頃の北島さんは強かったですよねぇ…。
 2010年にはバンクーバー大会が行われて、今では日本の女子スピードスケート中距離のエースである高木美帆選手がオリンピック初出場を果たした大会でした。当時はまだあどけなさが残る中学生でいたが、メダルには届きませんでしたが、はつらつとした笑顔が印象的でした。残念ながら団体パシュートでは補欠選手ということで、出場機会には恵まれませんでしたが、オリンピックでのメダル獲得という夢は8年後の平昌大会で花開くことになります。
 2012年ロンドン大会ではレスリングの吉田沙保里さんと伊調馨選手の大会3連覇が印象に残りました。とくに吉田さんは”霊長類最強女子”と言われ、無敵の強さを誇ってましたね。その陰には日々の厳しい自己管理や練習があったと思います。それがオリンピック3連覇という偉業を成し遂げることができた原動力ではないかと思います。それと卓球女子団体で日本初となる銀メダルを獲得したのも印象深い出来事でした。卓球にはわが山口県から石川佳純選手が出場しており、オリンピック初出場で銀メダル獲得という実績を残し、その後も日本人女子選手では常にトップを維持しています。平野早矢香さんや福原愛さんと抱き合って喜ぶシーンは忘れられないですね。
 2014年ソチ大会では羽生結弦選手の金メダルが印象的でしたね。しなやかな手の動き、華麗なステップ、軽やかなジャンプ。どれをとっても見る者を魅了する演技でした。最後のポーズも決まって、金メダルが決まったときのあの安どしたような表情はよく覚えています。なんといってもロシアの皇帝プルシエンコ選手を破っての優勝でしたからね。
 2016年リオデジャネイロ大会ではバドミントンのタカマツペアこと、高橋選手と松友選手のダブルス決勝戦が印象的でした。これまで日本人選手は世界でなかなか結果を残せずに低迷していましたが、前回ロンドン大会で藤井選手と垣岩瀬選手ペアが銀メダルを獲得してから強くなりましたよね。最後マッチポイントを握ってから、25点目を挙げて試合が終わったときに喜びを爆発させる二人の姿が印象的でした。それからレスリングで4連覇をかけて出場した吉田さんが決勝戦で敗れて銀メダルに終わった後のインタビューで「金メダル取れなくてごめんなさい」という言葉が印象に残りました。彼女のこれまでの活躍から、私はむしろ私たちにこれまで感動を与えてくれてありがとういう思いがしましたね。その一方で伊調馨選手が前人未到のオリンピック4連覇を達成しました。試合は終了間際まで相手にポイントでリードされる厳しい試合展開でしたが、最後の最後にポイントを奪って逆転し、金メダルを獲得しました。
 そして平成時代最後のオリンピックとなった平昌大会では、羽生選手の大会2連覇とスピードスケートの女子の活躍が印象深かったですね。羽生選手のSEIMEIのポーズはかっこよかったですし、大怪我を乗り越えてのオリンピック連覇は感動的でした。そして宇野昌磨選手とのワンツーフィニッシュは感動的でしたよね。そして前回ソチ大会ではオランダ勢に押されっぱなしだったスピードスケート日本代表。新たにオランダからコーチを招いて選手強化に取り組んだ結果、小平奈緒選手が1000メートルで銀メダル、500mではオリンピックレコードを叩き出して金メダルを獲得し、中距離のエースである高木美帆選手が1000メートルで銅メダル、団体パシュートではオランダを圧倒しての金メダル、そして新たに採用されたマススタートでは高木菜那選手が初代チャンピオンに輝きました。特に小平選手の最大のライバルである韓国のインサンファ選手と互いの健闘をたたえ合う姿は感動的でした。また、高木美帆選手を中心とする団体パシュートの実に統制の取れたチームワークは見事でしたね。
 一方オリンピック以外に目を向けると、私はWBCで日本代表侍JAPANが2連覇したことと、女子サッカーワールドカップドイツ大会でナデシコJAPANが強敵のアメリカをPK戦の末に破って初優勝を果たしたシーンが印象的でした。WBCでは第一回大会では予選敗退の危機を乗り切っての優勝でしたし、第二回大会では日本のライバルの一つであり、北京オリンピックでは決勝進出を絶たれた韓国との予選リーグからの息詰まる試合が繰り返され、決勝戦では延長戦にまでもつれこんで、イチロー選手が決勝タイムリーを放って、韓国の反撃を抑えての優勝でした。あの偉大なイチローさんが想像を絶するプレッシャーで胃潰瘍になったというのは有名な逸話ですよね。
 そしてナデシコJAPANですが、日本が初優勝を果たしたドイツ大会は2011年、東日本大震災が起こった3カ月後に開催された大会で、決勝戦は2度リードを許す展開となる苦しい試合展開でしたが、延長後半も終了間際に巡ってきたコーナーキックのチャンスを澤穂希さんがゴールを決めて追いつき、そのまま延長戦が終了し、優勝の行方はPK戦で決するということになりました。PK戦ではGKの貝堀選手が好セーブを連発しアメリカのシュートを何本も止めた一方で、日本選手は的確にゴールを決めて初優勝を果たしました。
 こうして振り返ってみると、私はずいぶんとスポーツ選手に感動を与えてもらったなという気がします。この後の主なスポーツ大会を見渡してみると、まず6月に女子サッカーワールドカップがフランスで行われます。その後ラグビーのワールドカップが日本で行われ、2020年にはいよいよ東京オリンピックパラリンピックが開幕します。今後どのような印象的なシーンが展開されるのか、楽しみにしたいと思います。