sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

私が睡眠障害にかかったその理由

 私が睡眠障害になってしまったその理由。今度セカンドオピニオンで、県立の病院の先生にも話さなくてはならないと思いますが、改めてここでまとめてみようと思います。直接の原因と言えば、元嫁の度重なる隣近所や幼稚園・学校の先生とのトラブルで、その火消し役に追われて、非難を浴び続けてきたこと・統一教会に元嫁が狂って家庭が崩壊したこと・元嫁が私に対して行ったDV・息子に対する精神的・肉体的虐待・育児放棄(ネグレクト)が主な原因ですが、もう少し細かく見ていこうと思います。
 まず、私が一番最初に精神的にいつまでもダメージの残るショックを受けた出来事と言えば、小学6年生の時に経験した地獄のような、身体的に激しい暴力を伴ういじめ。担任の先生のいない時間を狙っては、背中や腹を殴る蹴るといった暴行を受けてました。担任の先生に相談して、先生が激しい雷を加害児童に落とすと、その報復として、さらに激しい暴力を加えてきたり、「死ね」「殺すぞ」「お前が触ったものに触れたら、手が腐る」「お前は不必要な人間なんやから死んだらええねん」などの暴言。親や先生・クラスメイトの仲の良かった友達に相談してら「チクった」として、さらなるいじめが待っている。そうして、真綿で締め付けるような苦しみを受け続け、次第に生きる気力さえも奪われていった私。小学校卒業と同時に、加害児童から逃げるようにして山口に引っ越しして、加害児童からのいじめはなくなりました。しかし、私が被った精神的な被害は予想以上に深刻で、突然いじめられていた時の記憶がフラシュバックしたり、やり場のない怒りを感じてものを壊すなどの破壊的行動に出たり、とにかく精神的に非常に不安定な状態が長く続きました。ただ、このとき、今のように心の病を抱えた人たちをサポートするような体制が整っていたら、精神的なケアを受けることも出来ただろうと思いますが、その当時の私も、私の両親もそのようなサポートがあるとは知る由もなかったです。
 それから、月日が流れて私も成人し、二十歳を迎えて「もうこれ以上奴らのことを憎むのは、時間の無駄だし一区切りつけよう」そう思って、いじめの過去についてあまり考えないようにしてました。そうしてそれまで避けていた同窓会にも、山口に引っ越ししてから初めて参加し、その時になって「あの時は悪かった」と謝罪の言葉を述べて、少しは私の抱えていた重たいものが軽くなったような気がしましたが、時すでに遅しでした。このころから寝付きが悪くなっていたからです。そう、いじめで受けた精神的なダメージは私に寝られないという悪影響を及ぼしていたんです。ただ、この時は今ほど寝付きが悪いという状態でもなくて、熟睡できる日と、そうでない日とが交互にやってくるというような感じでした(いじめられている時の悪夢を見て、飛び起きることは何度もありましたが)。
 やがて私も結婚し、これで私自身も少しは幸せになれるのかな?と思っていました。結婚した翌年に息子が産まれて、やがて息子は知的障害を伴う自閉症を発症しているということが判明しますが、このころはまだ比較的家庭の中は上手く回ていたような気がします(口の悪さや、私の親兄弟・親戚などに対する悪態はありましたが)。それが少しずつ狂い始めたのは、息子が幼稚園に入ったころからでしょうか。幼稚園の担任の先生と、息子の養育方針を巡って、意見が対立することが増えて行って、息子に自閉症という障害があると正式に診断が下されて以降、元嫁は隣近所や私の両親などとトラブルを頻発させるようになっていきました。隣近所の人が「このころKちゃんを見かけないけど、Kちゃんは元気なの?」と聞かれると「やかましいこのクソババァ。あんたに何の関係があるんだよ」などと凄んで、私が仕事から帰った後に謝罪に追われたり、息子のことを心配した私の両親に対して「そんなに偉そうなことを言うんだったら、テメーらが育てりゃいいじゃろうが」などと暴言を吐き捨てて、そのことが原因で私と元嫁が大げんかしたりなどのトラブルが増えていきました。
 やがて次男が誕生し、次男に何の障害もないということがわかると、元嫁は次男を溺愛して、息子のことはほったらかしにするようになり、次第に邪険に扱うことが増えていきました。私は元嫁のやり方はまずいと思ったので、再三にわたって「息子のことを見てやれ」などと注意をしてましたが、元嫁は「親は私独りじゃないんじゃから、テメーも少しはこのくそ役立たずなやろーの面倒を見れや」などと言い返す始末。元嫁には息子は任せられないと思った私は、自分が寝る暇も惜しんで息子の相手をしたり、次男と一緒に遊び相手になったりしてました。
 そうこうしているうちに息子は小学校・次男は幼稚園に通い出して、日中に時間が出来た元嫁が狂ったのが統一教会。きっかけは、元嫁が交通事故を起こし、その時に損害保険の担当だった山田が統一教会に入信させたのが主な理由でしたが、元嫁が統一教会に狂いだしてからは、家の中はめちゃくちゃで、元嫁は子供の面倒は見ない・家のことはしない・隣近所や学校・幼稚園・私の両親や姉や妹とトラブルを頻発させる・金は使いたい放題・言いたい放題・やりたい放題なことをして家庭が崩壊し、精神的にボロボロになって離婚を叩きつけて別居を開始すると、今度は元嫁が離婚の取り消しを求めて裁判所に提訴。これで私は精神的に限界を超えて、体調が大幅に悪化し、いつ自殺してもおかしくないような、そんな状態にまで追い込まれ、離婚調停が成立し、今の暮らしに落ち着いた時には、正直「よく自殺せずに済んだな」というのが率直な感想です。
 私の寝付きが悪化していったのは、私の記憶が正しければ、2005年ころからではなかったかと思います。ちょうど、元嫁が統一教会に入信し、私まで入信させようとしていたことが判明したころです。このころから寝付きが悪くなっていって、眠れない状態にとどめを刺したのが、元嫁が提訴した離婚調停でした。裁判所に行くためには職場を休まなくてはならなくて、そのことで職場の大勢のみんなに迷惑をかけていたことも精神的な負担になってましたし、金目当てで元嫁が息子の親権を強硬に主張しているのが分かっていたので、「最低でも息子の親権は絶対に譲れない」というプレッシャーもあって、精神的に相当参ってる状態でした。調停員さんもこれ以上裁判を長引かせるわけにはいかないと思ったのか「これ以上、調停を長引かせても、お互いにいいことないから、お子さんの意見を尊重するということで折り合ってはどうか」ということで二人の子供の意見を尊重するということで、息子は私のもとへ・次男は元嫁のもとへ行くことになって、調停が終わって「これで落ち着いて眠ることが出来る」と思っていましたが、すべての問題がようやく解決したはずなのに、眠れない日々が続きました。「これはおかしい。何か体に問題があるんじゃないか」と思って、全く眠れない旨を両親に伝えて、私も仕事が終わって家に帰った後、自分の身体で起こっていることについていろいろと調べてみました。そして導き出されたのが睡眠障害。ただ、これは病院で正式に診断されたわけではなくて、ここから病院を予約するのに一苦労。2010年8月に調停が終わって、そこから自分で自分の体調について調べて、市内にある精神科・メンタルクリニックを調べて、今の病院に通い出して出された診断が「躁鬱病睡眠障害」という結果でした。この病気は完治するのが難しく、長期にわたる治療が必要だということでした。そして処方された睡眠薬を服用して眠りに着くという日々が始まりましたが、当初は処方された睡眠薬を服用しても眠れない状態が続いて、次第に服用しなければならない薬が増えて行って、今では5種類の薬(かなりきつい薬)を服用していて、それで何とか浅い眠りではありますが、何とか寝付けるようにまで回復してきました。
 本当に睡眠障害というのは、寝られなくて疲れがとれない分、体力を消耗しますし、肉体的にも相当きついです。このような体で夜勤をして体力的に持つのか?不安でしかない私です。睡眠障害躁鬱病を発症してなければ、夜勤が始まったとしても何でもないんでしょうけど、今の状態ではやはり不安が残りますね…。