sakura542gouのブログ

日々思うこと色々書いてます。今年は空と結婚し、新たな生活が始まりました。

ジェンキンスさん・増元信子さん死去

  昨日、北朝鮮拉致被害者の関係するニュースの中で、曽我ひとみさん(58)の夫のチャールズ・ジェンキンスさん(77歳)が致死性不整脈でお亡くなりになりました。
 関係者によりますと、11日夜、佐渡市の自宅前で倒れ、市内の病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
 アメリノースカロライナ州出身。在韓米軍の軍曹だった1965年に北朝鮮に脱走し、英語を教えるなどしていました。日本から拉致された曽我さんとは1980年に結婚し、長女美花さん(34)・次女ブリンダさん(32)をもうけました。
 北朝鮮が日本人拉致を認めた2002年に曽我さんは帰国。ジェンキンスさんも04に、娘さん二人とともに出国し、インドネシアで曽我さんと再会後、来日しました。神奈川県のキャンプ座間に出頭し、軍法会議禁錮30日と不名誉除隊の判決を受け服役。その後は曽我さんの故郷の佐渡島で家族と暮らしていました。
 佐渡では義母ミヨシさんらの救出を訴える曽我さんの活動を支え続けながら、市内の観光施設「佐渡歴史伝説館」に勤務し、土産物を販売。観光客と記念写真に応じるなどして親しまれていたそうです。
 05年6月に家族4人でノースカロライナ州を訪れ、母親と40年ぶりに再会。同年、北朝鮮での生活をつづった手記「告白」を出版しました。

 また、同じ日に増元るみ子さんの母、増元信子さんが心不全のため、鹿児島県内の病院で死去しました。90歳だったそうです。1978年8月に当時24歳だったるみ子さんは、交際相手の市川修一さん(当時23歳)と、鹿児島県日置市の海岸で拉致されました。2002年の日朝首脳会談北朝鮮は拉致を認め、るみ子さんについては「死亡した」としましたが、不自然な点があるとして生存を信じ、帰国を待ち続けていました。
 父正一さんは2002年10月に亡くなっており、両親とも、るみ子さんとの再会は果たせないままになってしまいました。長男の信一さんは「母は娘留美子のことを一日として忘れることなく帰国を待ち続けておりました。るみ子を再び胸に抱くことのできぬまま命尽きた母の無念を推し量ることはできません。姉兄弟3人、母の意思を継ぎ必ずるみ子を取り戻します」とコメントを発表しました。
 長女の平野フミ子さん(67)は「以前は拉致を信じていない住民に罵られながらも、署名活動をしていた」と振り返っています。近年は介護施設に入り、会話をすることも難しくなっていたそうです。「娘が帰ってくる報告を聞かせてあげられれば元気になったかもしれない。残念だ」と話しています。次男照明さん(62)の妻、俊子さん(52)は「拉致被害者の家族が一人一人、思いを果たせずに亡くなっていくことを、政府は重く受け止めてほしい」と訴えています。

 ジェンキンスさんは曽我さんの母親であるミヨシさんとの面会を果たせないまま亡くなられましたし、信子さんはるみ子さんとの再会を果たせないまま旅立っていかれました。こういったニュースを聞くと、拉致被害者家族に残された時間は本当に残り少ないんだなと、改めて痛切に感じさせられます。もし私の息子や次男が拉致されて、何十年もの間、帰国できないままだったら、どうするだろうか?なんとしてでも救い出したい。その思いで懸命に活動をしていたと思います。そういった思いが日本の政府要人の間には感じられないのは私だけでしょうか?「拉致被害者の救出は安倍政権の最重要事項だ」とよくコメントで聴きますが、だったら日本の政府要人がなぜ北朝鮮に行って、直接直談判しないのか?もっと真剣に考えてもらいたいと思います。